カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。

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・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。

2013年03月

「カトリックとプロテスタント教会(聖堂)の見分け方は、十字架上にキリスト像があるかないか」というような言われ方をすることがありますが、カトリック教会の聖堂でも日本の場合は、必ずしも磔刑のキリスト像があるとは限りません。

私の所属する教会も十字架上にキリスト像がありません。

なぜカトリックなのにキリスト像がないのか?

聞くところによると、初めて教会の扉を開く人によっては、磔刑の酷たらしい姿を「直視出来ない」「拒絶してしまう」ということがあるようです。
やはり日本ではキリスト教の文化的な厚みに乏しく見慣れていないからかもしれません。

昨日は、キリストの受難の日、聖金曜日でした。

聖金曜日はミサではなく「受難の祭儀」。
全ての十字架、聖像に覆いをかけ、ロウソクなども置かない。

祭儀の始めは、普段とかなり違う雰囲気で、緊張感があります。

祭儀の中の「十字架の崇敬」のときに、布に覆われた「受難(磔刑)のキリスト像」の布を取りのけながら、初めて十字架が顕示され「見よ、キリストの十字架、世の救い」と掲げられ、このときがクライマックスとなります。
昨日の所属教会の祭儀ではかなり大きい受難像でしたので、とても緊張感があり驚いてしまいました。

記憶があいまいなのですが、昨年はこんなに大きな十字架ではなかったような気が・・・
受難像の大きさの違いでもこんなに印象が違うものなのかと・・・

聖金曜日の「受難の祭儀」は、平日なので、与れないことが度々ありましたが、「受難の祭儀」の重さを再確認しました。

「受難(磔刑)のキリスト像」も見る人や状況によって、印象が変わるものですね。

このところ仕事で、毎晩帰宅が遅いのですが

Twitter を見ていたら

「無理をさせ『無理をするな』と無理を言う」

という川柳?が載っていて思わず笑ってしまいました。

サラリーマン川柳でしょうね。

「アイデアを 出せば出すだけ 仕事増え」なんていうのもいいねえ(笑)

しんどいときは笑いでも救われます。

サラリーマン川柳
は、第一生命のホームページで見る事ができますのでぜひどうぞ。
http://event.dai-ichi-life.co.jp/company/senryu/

というわけでサラリーマン川柳はそんな感じですが 

もしカトリック川柳というのがあるとしたらどんな感じでしょうか。

適当にちょっと創ってみました。

「ラテン語を 『イイね』といいつつ ルビをふる」

「ラゲ訳は 『シブい』といいつつ 舌をかむ」

うん これは私ですね(笑)

Twitterのほうは、もう手がまわらず、タイムラインを眺めさせてもらうだけになっているのですが、つい目が止まってしまうツイートがあります。

なかでもお気に入りなのが、聖ホセマリア・エスクリバーのメッセージをアップするツイート。

アップしてくださる方に感謝です。

聖ホセマリア・エスクリバーとは?

オプスデイの創始者。。。
1992年に列福。。。
2002年に列聖。。。

列福から10年という異例の早さで聖人となりましたが、40年ぐらい前には存命だったわけで、現代社会を生きた聖人として、ビデオ(動画)が存在しているという、極めてユニークな聖人です。

この聖ホセマリア・エスクリバーのメッセージがスゴい。

まさに金言です。

「いま言ったことを優しい口調で落ち着いて言いなおしてみよ。そうすれば、あなたの言い分はもっと説得力を増すだろう。そしてとくに大切なのは、神にそむくようなことにならなくてすむことだ。」

「あなたには、好奇心と自己顕示欲はありあまるほどあるが、犠牲の精神は欠けている。」

他人に犠牲を強いない犠牲をえらびなさい。」

「俗にいう<平等>は、<不正>の同義語であるとは思わないか。」

「神のもとに導いてくれないものはすべて邪魔者である。引きぬいて、遠くへ投げすてよ。」

もうタジタジとなるというか・・・耳に痛いというか・・・

しかし、強力に引き寄せられるような・・・

Twitterは、著書「道」から、選ばれた金言がアップされてますが、
「拓」(ひらく)「鍛」(きたえる)という本も気になってきます。
書名がいいですよね。

「買って読もうかな」と思案中。

読みかけ本が山のようにたまってしまっているので、またもやウジウジ悩む今日この頃・・・


日本にいるカトリックの皆様

神に感謝!!

我らの教皇が決まりました!! 

新しいパパ様と、前のパパ様に

神のご加護と祝福がありますように!

結局、今年の四旬節の告解(ゆるしの秘跡)は、所属小教区教会ではない別の教会で受けたのですが、実はこれがとても良かった。

告解したこの教会は、基本的に主日ミサ前30分は告解の時間になっていて、告解室も声だけが聞こえる普通の告解室。

私の所属小教区教会は告解室がなく、神父様の目の前で告白しなければならないので、とてもうらやましく感じました。。。

告解後のミサでのお説教も、四旬節の期間での贖罪の大切さについての話で、とてもタイムリーないい話でした。
そしてミサ後に聖堂前で神父様の姿をお見かけしたら(最近ではあまり見かけない)スータン姿。。。

なにか見事に三拍子揃った感じで、こういう教会は、いろいろな面で安定感というか安心感のようなものがありますから、やはりとてもいい教会なんだと思います。

というわけで、この教会で告解とミサに与ることができたことが、神様のお恵みのように感じ、とてもうれしくなりました。

反面、所属小教区教会の現状が芳しくない事もわかる・・・・・
しかし所属小教区教会の告解の時間がなかなか確保できないのは、ひとえに司祭不足、共同宣教司牧であるという現実が影響しているわけなんですよね。
もうそれをとやかく言ってもしかたがない。
所属小教区の現状には拘泥せずに、「安心していつでも告解ができる別の教会が見つかって、本当によかった!」ということだけ思うことにしました。

体調を崩してしまったときや健康上の相談をするときには身近な内科医を訪ねますが、やはりしっかりした検査を受けたいときは、より専門的な大きい病院を訪ねる。
教会についても病院と同じで、セカンドオピニオン が大切なのではなかろうか???

というわけで私の場合は「告解する教会は今回のココ」ということになりそうです。

苦言を言う前に、自分に合う教会を見つけて状況に応じて行き先を変えればいいんだと思い、なんだかスゴく気が楽になってしまいました・・・・・

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