カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

2013年02月

ああイエズスよ、我らの罪を赦し給え、我らを地獄の火より護り給え。また、すべての霊魂、ことに主の御憐れみを最も必要とする霊魂を天国に導き給え。

正統派のカトリックの人たちの集まりでロザリオをするときに、ロザリオに加えて唱えるこのお祈り。

何のお祈りなのか?

公教会祈祷文にも載っていないので、しばらく知らないまま唱えていたのですが、何の祈りか後から知りました。

このお祈りは、ファティマの聖母がの3人の牧童に与えた祈りなのでした。

やはり文語ですし「地獄の火」という言葉があるからかもしれませんが言葉に強さと激しさがあります。

家ではなかなか,ロザリオ一環できないのですが、「天使祝詞」を唱えるときは、その後にワンセットで唱えるようになりました。

本当はやはり、ロザリオでしなければならないのでしょうから、ちょっといいとこどりという感じですね。

バレンタインデーがくるので聖ウァレンティヌスについて書こうと思っていたら、教皇ベネディクト16世が退位されるという大変ショッキングなニュースが流れ驚きました。

カトリック信徒にとって、影響を受けた事柄というのはそれぞれに様々だと思いますが
私の関心事に近いところで、とてもとても大きな影響をいただいたパパ様(教皇に対するカトリック信徒の親しみを込めた呼び方)でした。

例えば特別形式ミサ(トリエント・ミサ)。

日本でも特別形式ミサが行われるようになってきた背景には
自発教令 スンモールム・ポンティフィクム
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message243.htm
ウニヴェルセ・エクレジエ
http://www.tim.hi-ho.ne.jp/catholic-act-d/Web/ecunj.html
の影響がとても大きかったと思います。

とても言葉では書ききれない感謝の気持ちが沸きます。

フィーリング信徒の私にとっては
講話「芸術と祈り」
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message644.htm
のお話も、とても琴線に触れるものがありました。

驚きとともに、いままで大変な重圧を担ってくださった事にひたすら感謝。

そしてパパ様のご意志が次のパパ様にも受継がれることと、パパ様の残された人生が神様のお恵みのもとに癒しの日々となるように祈りたいと思います。

聖書には「愛」という言葉が非常に多くでてきますが、私は「愛」という言葉が苦手です。

もちろん聖書の「愛」の概念についてではなく、日本語の訳としての「愛」という言葉についてです。

なんとなく気恥ずかしい感じがします。

なぜ苦手なのか? なぜ気恥ずかしいのか?

Wikipe を読んでみて、わかるような気がしてきました。

ギリシア語では愛に該当する言葉が4つあるらしい。

「ストルゲー」→ 家族愛
「エロス」  → 性愛 
「フィーリア」→ 友愛
「アガペ」  → 真の愛、神の無限無償の愛

聖書のなかで書かれている「愛」は「アガペ」と「フィーリア」を意味しますが、やはり「愛」という日本語の言葉に、「エロス」の部分、「性愛」「恋愛」「自己愛」の意味が含まれていることが気恥ずかしさの理由なんでしょうね。

「愛人」なんて言葉もあるし・・・

さらにWikipeでは・・・

「仏教では『愛』という言葉は、原義は『渇き』であり、広義には『煩悩』狭義には『貪欲』と同じ意味である。」と書いてある・・・

「愛人」という言葉の発するイメージとの一致に、ナルホド!と思ってしまいました。

ウルガタ聖書のラテン語の原文はどうなんでしょうか?
おそらく「愛」は「caritas(カリタス)」なんだと思いますが、キリシタンの時代には、まだ「愛」という言葉がなく「御大切」と訳されていたらしいです。

さすがに現代では「御大切」ではピンときませんが「もしかしたら『慈しみ』という言葉のほうが、しっくりきたんじゃないか?」と勝手に思ったりもします。

キリシタン時代を除けば、聖書の日本語訳は、プロテスタントが先行し、ヘボン式ローマ字のヘボンさん(プロテスタント)なども、ずいぶんご努力された感じです。

そのヘボンさんの協力者であった高橋五郎さんが、カトリックの最初の日本語訳聖書の翻訳でも関わったと Wikipe に書かれています。

一番最初に「愛」という言葉を使った人はどなたなんでしょうか?

理由を尋ねてみたいのですが、残念ながら無理ですね。。。


マリア十五玄義図1小京都大学総合博物館で「マリア十五玄義図」特別展が開催されており、どうしても拝観したく、閉展間際の昨日に行ってきました。

2点の「マリア十五玄義図」。

京都大学総合博物館所蔵のものが「原田家本マリア十五玄義図」。
茨木市立文化財資料館所蔵のものが「東家本マリア十五玄義図」。
構図が酷似しています。

どちらかを手本に模写したのでしょうか?

マリア十五玄義図1PNGマリア十五玄義図2PNG











「東家本マリア十五玄義図」(右側)は損傷が激しく痛々しい。

聖体秘跡図の部分での、2人の聖人の有無が、2点の絵の明瞭な違いですが、右側の「栄光の玄義」の部分を見ると、痛みの激しい「東家本マリア十五玄義図」のほうが筆遣いが巧みな感じもします。

2点の「マリア十五玄義図」の両方の手本になるものが、当時は存在していたのかもしれません。

最も驚いたのは、色彩の鮮やかさ。
この点は2点とも共通しています。

紙は日本の竹紙で、顔料も日本の材料がベースですが、黄色(金色)は西洋のものである可能性があるそうです。

想像を絶する過酷な状況にもかかわらず、400年を経て現代の私たちが拝観できるということが奇跡的な感じがします。

「聖体秘跡への崇敬」と「聖母マリアへの崇敬」「ロザリオの祈り」

極めてカトリック的な信仰がこの絵には凝縮されていて、カトリックの日本人としては、とても胸を打つものがありました。

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