歴史的大事件をもって歴史を区切るならば、中世の始まりというのは、どうしても「ローマ帝国の崩壊」以降と思ってしまうのですが、後期のローマ帝国は最盛期のローマ帝国とはかなり異なっていて、すでに中世の兆しが現れていたようですね。
フランク王国カロリング朝の時代というか、やはりカール大帝などが登場しないと中世という感じがしなかったのですが、よくよく考えればコンスタティヌス大帝がミラノ勅令でキリスト教を公認してからのローマ帝国の歴史があるわけで、聖アウグスティヌスや聖ヒエロニムスが存命のときは、まだローマ帝国だったんですよね。
Christus vincit キリストは勝ち
Christus regnat キリストは支配し
Christus imperat キリストは君臨する
というローマ帝国だったわけです。
皇帝ネロのようなキリスト教を迫害するローマ帝国のイメージのほうが強いので、なかなか実感がなかったのですが、後期ローマ帝国という見方をすると、少しスッキリすることを知りました。
この後期ローマはコンスタティヌス大帝の少し前、ディオクレティアヌス帝による分担統治(テトラルキア)の開始が転換点だったらしい。
広くなりすぎた国土を分担統治で目が行き届くようにするというのは良かったのだけど
分担統治が官僚組織の肥大化をまねき、国家財政を圧迫。
軍事支出に支障をきたし軍事的にも弱体化。安全保障にほころびが出始め、属州からの徴税がままならないという悪循環。
財政の問題は税制に影響。そして「広く浅く」が基本だったローマの税制が、重税化していく。
皇帝の立場も終身大統領制みたいな感じの元首政(プリンキパトゥス)から専制君主制(ドミナートゥス)へと政体の姿も変化。
現代の政治の構図にも似たような構図があるようなないような・・・
部分的にはあてはまるところもあったりして・・・
「滅びの予感」というか「国家の衰退」を実感するなかで、キリスト教が広がり浸透していったみたいですね。
キリスト教を世界宗教へと変えたのは聖パウロですが、その基盤が固まったのはこの後期ローマの時代。
歴史としても、もう少し詳しく知らなければならないと思いました。
フランク王国カロリング朝の時代というか、やはりカール大帝などが登場しないと中世という感じがしなかったのですが、よくよく考えればコンスタティヌス大帝がミラノ勅令でキリスト教を公認してからのローマ帝国の歴史があるわけで、聖アウグスティヌスや聖ヒエロニムスが存命のときは、まだローマ帝国だったんですよね。
Christus vincit キリストは勝ち
Christus regnat キリストは支配し
Christus imperat キリストは君臨する
というローマ帝国だったわけです。
皇帝ネロのようなキリスト教を迫害するローマ帝国のイメージのほうが強いので、なかなか実感がなかったのですが、後期ローマ帝国という見方をすると、少しスッキリすることを知りました。
この後期ローマはコンスタティヌス大帝の少し前、ディオクレティアヌス帝による分担統治(テトラルキア)の開始が転換点だったらしい。
広くなりすぎた国土を分担統治で目が行き届くようにするというのは良かったのだけど
分担統治が官僚組織の肥大化をまねき、国家財政を圧迫。
軍事支出に支障をきたし軍事的にも弱体化。安全保障にほころびが出始め、属州からの徴税がままならないという悪循環。
財政の問題は税制に影響。そして「広く浅く」が基本だったローマの税制が、重税化していく。
皇帝の立場も終身大統領制みたいな感じの元首政(プリンキパトゥス)から専制君主制(ドミナートゥス)へと政体の姿も変化。
現代の政治の構図にも似たような構図があるようなないような・・・
部分的にはあてはまるところもあったりして・・・
「滅びの予感」というか「国家の衰退」を実感するなかで、キリスト教が広がり浸透していったみたいですね。
キリスト教を世界宗教へと変えたのは聖パウロですが、その基盤が固まったのはこの後期ローマの時代。
歴史としても、もう少し詳しく知らなければならないと思いました。