カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

2012年07月

7月の関西は、中盤に京都で祇園祭り。終盤に大阪で天神祭り。

共に夏の風物詩になっていて、なんとなく気持ちが高揚するというか、やはり浮かれた気分になります。
毎年あるからいつでも行けると思うと意外に行かなかったりするのですが、それども街が華やぐのは楽しい。

祇園祭りは山鉾巡航。天神祭は船渡御と奉納花火。が見どころ。

ここまで書いてハッとするのですが、実はあまり祭礼については良く知らないことに気づく。

しかし、(決めつけは禁物ですが)一般的に、祭礼を意識して、お祭りに行く人は少ないような気も・・・

以前、私はこのブログで、「クリスマスに、キリスト降誕の話が希薄になってサンタクロースばかり出て来るのは嘆かわしい」とか書いたことがありましたが・・・人の事を言えない。

私自身、「お祭り気分を楽しみにお祭りに行く。」という意識がある事に気づいてしまって、「行事として存在しても、宗教意識が希薄なのは日本人社会の特性なのかなあ」とぼんやり思ってしまいました・・・

宗教というか信仰を意識するのは、もっと個人的な心の動きなのかなあ・・・

ネオ・カテ。
スペインの、キコ・アルグエイオという人が始めたカトリックの新しい祈りの運動。
正式には「ネオカクテナート」日本語では「新求道共同体」とも呼ばれますが、この ネオ・カテ が引き起こした問題については、私は、ちょうど休眠期とかぶってしまっていたので詳しくわかっていません。
ネオ・カテ の影響を受けた高松教区が、賛成と反対で分裂しかねないほどの深刻な問題になっていたらしく、信徒が司教に対し民事訴訟を起こすという前代未聞の事態まで起きたらしい。
後から知ったとはいえ驚くばかり・・・

そういう教会の運営をめぐる行き違いについては、なぜそこまでこじれてしまったのかよくわかりません。

ただ ネオ・カテ の影響を受けた教会は、奇妙な事が多かったらしい。
ミサもテンションを高める為か、手拍子したり踊ったりという具合。
祭壇も聖堂のど真ん中にあったり・・・

なんだかイヤな感じ・・・

ミサにおけるホスチアも、大きな干からびた固いパンような形状で、祭壇の角でパンパンと叩いて割って細かく分けたりする。粉となったホスチアの破片が床に落ちても平気だったりするわけです。果たしてホスチアに対する認識が共通なのかが怪しい・・・

何故、こういう不可解な運動が入り込む事態となってしまったのか?

問題点を時間軸で整理し考えてみました。

そもそも日本のカトリック教会のミサ典礼が変わってしまったということについては、やはりNICEが発端だったという話をよく聞きます。

NICE(ナイス)
1987年の第1回福音宣教推進全国会議(NICE-1)
1993年に第2回福音宣教推進全国会議(NICE-2)のことです。

当時私は、あまり関心もなかったし、なにが変わるのかもよくわかってなかった。

しかしNICEにおいて「典礼を活き活きとしたものとするために刷新する」という方針が打ち出され、以後それを契機に「バンドミサを始めとする奇妙なミサ、奇妙な聖歌」が登場し始めたようです。

奇妙なミサは、なにも ネオ・カテ が発端だったわけではないわけです。

ことミサ典礼に関してだけいえば、NICEの方針に従い、ネオ・カテ のミサが新しい活き活きとした典礼の姿として 導入されたのではないか?という疑いを持ちます。

結局「ネオ・カテは、間接的結果的に NICE が招いたんじゃないか?」と思ってしまう。

典礼刷新に動き始めた日本のカトリックの状況にピタッと乗っかったようなものですよね。

司教団の2008年のメッセージでは「しかしその評価と反省が十分になされないまま、20年の年月が経過。NICEは、意義があったが、中途半端に終わり失速した。」ということになっています。
しかし ネオ・カテ までいかないとしても、程度の差こそあれそれぞれの小教区の典礼が変わってしまった現状を見れば、NICEは充分に影響を与えています。

失速したことが問題なのではなく、こと典礼に関して言えば、刷新したことが問題の本質なのではないか。
結局、典礼刷新の突き進んだ先が ネオ・カテ だったわけです。

一方、時系列でみると、カトリック・アクションの荘厳司教ミサの第一回が1991年なんですね。
典礼破壊の危機感が荘厳司教ミサの誕生に結びついたのだと思いますが、このときから逆に、正統なミサ典礼へ回帰する運動も、始まっていたんですね。

かたずけをしていたら、映画「第七の封印」の紹介記事の新聞切り抜きがでてきて、少し見たくなりました。

「第七の封印」というタイトルは、ヨハネの黙示録からつけられたみたいですね
1957年製作のスウェーデン映画。イングマール・ベルイマン監督作品。

切り抜きに、ちらっと画像がついていて、死神と対面しチェスをする騎士の姿が極めて印象的な絵になってます。
この画像に引き寄せられて、切り抜いて残していたような感じ。

舞台設定が中世なので興味を引かれますが、この映画は「神の不在」をテーマにしているんですよね。
イングマール・ベルイマン監督は、かなりこの作品を気に入っていたようです。

果たして見るべきなのか?

ネットで検索をかけて、いろいろなサイトを見てました。

「いかに嘆き神の慈悲にすがろうとも、そこはだれもいない漆黒の闇だ。今はただ生の喜びをかみしめるのだ。生ある限り、その喜びを・・・・」

なんて台詞がでてくるみたい・・・

無神論ですね。これは・・・

しかし人間がそんな虚無の世界を達観できるなんていうのは、なんかウソくさいと私は感じてしまう。

芸術映画は曲者だったりする。
映像美があったとしても、暗くて救いが無い映画はゴメンこうむりたいです。

Amazonで調べると、なんと中古で 9580円から・・・
ちょっとかなり高い。

「見るのはやめといたほうがいいで」という感じの値段ですね。
こういうのは偶然じゃないかもしれない。

この映画よりも、先に読んだり見たりしたほうがいい、本や映画がまだまだゴマンとあるんです。

とは言うものの、しかし気にはなってしまった・・・・・
どうしよう。。。

「知るために我は信ずる」という聖アンセルムスの言葉を噛み締めつつ、対決するような感じで、いつの日か、いずれ見ることにはなるんでしょうね。



「カトリックの土着化」という言葉が、使われ始めたのはいつ頃でしょうか?30年ぐらい前??

ではカトリックは日本に土着したのか?

答えはイエスでありノーなんでしようね。

長崎(特に五島)、天草などは、限定的かもしれませんが、他地域と比べ、カトリックの信徒数が多く文化的にも定着している感じ。
土着していると言ってもいいのでしょうね。

ただ長崎の場合は、潜伏キリシタンという歴史的土壌があったし、明治期の宣教も重点的だったのだと思います。
近年の「土着化」という話が影響したわけではありません。

長崎や天草以外の地域はどうなんでしょうか?

「親子孫曾孫4代カトリック」という家族も、そこそこあったとしてもやはり信徒の絶対数が少ない。
土着ということが、地域文化になることをイメージするならば、ちょっと土着という言葉は現実とは程遠い感があります。

ただ、信徒数が少なくとも、家族の歴史として信仰が継続していくことを土着とするならば、「親子孫曾孫4代カトリック」ということは、充分に意味を持ちます。

潜伏キリシタンの歴史は厳しい弾圧迫害の中での継続、土着だったわけです。

「土着化」が時間の経過でなされるとするならば、現代では迫害があるわけではなく、親から子へ伝承していくだけの話です。
ただし何代にもわたって確実に伝承して守り続けなければならない。

拡げることも大事ですが、もしかしたら守り続けることはもっと大切かもしれない。

守り続けていくためには、やはり原点に帰らなければいけない。
ころころ変わったんじゃ伝承できません。

ラテン語文語の祈りや聖歌。伝統的な聖堂の姿。

そういう原点の姿を、私は子供に伝承していくつもりです。

まだだいぶ先ですが、子供に対し、孫への伝承も「そういうことでよろしくたのむ」という感じ。

7月1日のミサの福音書朗読は、マルコ5-21でした。
ここは印象深いですね。

「さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。
「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。 すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。 イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。
 そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」 しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。 女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」


新共同訳の口語の文章でも充分に印象に残りますが、ちょっと文語聖書で該当箇所を見てみました。

茲(ここ)に十二年血漏(ちろう)を患へる婦(おんな)ありて、曾て(かつて)數多(あまた)の醫師(いし)に係りて様々に苦しめられ、有(も)てるものを悉く(ことごとく)費したれど、何の効(かい)もなく、却て(かえって)益(ますます)惡しかりしに、イエズスの事を聞きしかば、雑沓の中を後より來りて、其(その)衣服に触れたり。
是(こ)は其衣服にだに触れなば癒ゆべし、と謂ひ居たればなり。
斯て(かく)出血忽(たちまち)歇(や)みて、婦は病の癒えたるを身に感じたり。イエズス直(ただち)に己より霊能の出でしを覚(さと)り給ひ、群衆を顧(かへり)みて、誰か我衣服に触れしぞ、と曰(のたま)ふや、と。弟子等(たち)云(い)ひけるは、群衆の汝に擠迫る(おしせまる)を見ながら猶(なほ)誰か我に触さわりしぞ、と日(のたま)ふや、と。イエズス之を為なしし人を見んとて視廻し給へば、婦は我が身に成りたる事を知りて、恐れ慄きつつ來り、御前に平伏して、具に(つぶさに)實(じつ)を告げたり。
イエズス是に曰(のたま)ひけるは、女よ、汝の信仰、汝を救へり、安んじて往け、汝の病癒えてあれかし。


いいですねえ!!
読むのは少し大変ですが、重厚でまるで別物。

口語訳があって内容はつかめているので、語感を味わうことに集中できまね。口語訳と文語訳は補完関係にある感じです。

文語は堅くて淡々とした情景描写になるのですが、その淡白さが逆に内容を浮き出させる感じがします。

遠藤周作さんの「沈黙」もエピローグの切支丹屋敷役人日記(文語)のところがとても印象的だったんですよね。

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