引き続き教区資料について考えてみたいと思いますが、この資料、クリスマスと復活祭のミサ参加者についての数字があるところがポイントだと思います。
だいぶ昔の私事で恐縮ですが、就職で親元を離れて暮らすようになったとき、私は母親から「御ミサにはちゃんと行くんだよ。せめてクリスマスとご復活は必ず行きなさい」とくぎをさされた。
あまり熱心でなかった私のことを母は見抜いていたわけですが、このころは「クリスマスは必ずというのは歯止め」ではありました。
年によって日が変わる復活祭と違ってクリスマスは毎年同じ。
「クリスマスは放蕩息子が帰ってくる日」という見方ができるかもしれません。
見方を変えれば「信徒総数」から「クリスマス参加者数」をひいた数は、「離れている人の実数」と考えていいのではないでしょうか。
もちろんクリスマスであってもたまたま病気で来れない場合や後期高齢者もいると思いますが、逆に「クリスマスに教会に来てみたという未信者」もおられると思いますのでそこは相殺。
昨年のクリスマスは土曜日でしたので、比較的教会に来やすい条件でしたが、離れている人(クリスマスに教会に来なかった人)の割合を計算すると、私の所属教区では 42%でした。
この比率は小教区ではなく教区なので分母はそこそこ大きく、指標としても少し客観性があるのではないか?
けっこう高い数字という感じがします。
やや強引ですが、この42%という比率を日本の信徒総数にあてはめるとどうなるか。
2010年の信徒総数が 440,301 ですから、その42%は 184,926 。
あくまで仮定ですが、日本全体でみると「離れている人」は約18万5000人。
逆にクリスマスには教会に来る人は 約25万5000人。
蛇足ですが 日本の人口からみた割合でみると 0.2%
なんと1000人に2人。韓国は10%だから 1000人だったら100人。
「離れている人が18万5000人」というのは仮定にすぎませんがどうなんだろうか?
現実の小教区で信徒名簿をもとに連絡をとろうとしても消息不明な人はゴロゴロいる。
わたしもクリスマスの歯止めも効かない離れている人だった時期があったわけです。
当たらずとも遠からずという感じなんじゃないだろうか。
なぜ離れてしまっているかを考えないといけない。
そして戻ってくるように祈らなければなりませんね。
だいぶ昔の私事で恐縮ですが、就職で親元を離れて暮らすようになったとき、私は母親から「御ミサにはちゃんと行くんだよ。せめてクリスマスとご復活は必ず行きなさい」とくぎをさされた。
あまり熱心でなかった私のことを母は見抜いていたわけですが、このころは「クリスマスは必ずというのは歯止め」ではありました。
年によって日が変わる復活祭と違ってクリスマスは毎年同じ。
「クリスマスは放蕩息子が帰ってくる日」という見方ができるかもしれません。
見方を変えれば「信徒総数」から「クリスマス参加者数」をひいた数は、「離れている人の実数」と考えていいのではないでしょうか。
もちろんクリスマスであってもたまたま病気で来れない場合や後期高齢者もいると思いますが、逆に「クリスマスに教会に来てみたという未信者」もおられると思いますのでそこは相殺。
昨年のクリスマスは土曜日でしたので、比較的教会に来やすい条件でしたが、離れている人(クリスマスに教会に来なかった人)の割合を計算すると、私の所属教区では 42%でした。
この比率は小教区ではなく教区なので分母はそこそこ大きく、指標としても少し客観性があるのではないか?
けっこう高い数字という感じがします。
やや強引ですが、この42%という比率を日本の信徒総数にあてはめるとどうなるか。
2010年の信徒総数が 440,301 ですから、その42%は 184,926 。
あくまで仮定ですが、日本全体でみると「離れている人」は約18万5000人。
逆にクリスマスには教会に来る人は 約25万5000人。
蛇足ですが 日本の人口からみた割合でみると 0.2%
なんと1000人に2人。韓国は10%だから 1000人だったら100人。
「離れている人が18万5000人」というのは仮定にすぎませんがどうなんだろうか?
現実の小教区で信徒名簿をもとに連絡をとろうとしても消息不明な人はゴロゴロいる。
わたしもクリスマスの歯止めも効かない離れている人だった時期があったわけです。
当たらずとも遠からずという感じなんじゃないだろうか。
なぜ離れてしまっているかを考えないといけない。
そして戻ってくるように祈らなければなりませんね。