カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

2012年05月

少し話題を変えて、今回は隣国の韓国の話。

実は韓国は日本と比べてカトリックが非常に多いです。

カトリックの信徒数は日本の約10倍で約476万人(2005年)。
韓国の人口構成比でみると全人口の10%!!

日本のカトリック信徒の人口構成比は、全国では0.4%以下で、カトリックが多い印象のある長崎でも4%ぐらいですから、韓国は「国全体が長崎みたいなもの」というか長崎以上なのです!!

こうして数字を見ると、日本のカトリック教会にとって韓国のカトリック教会と交流していくということは非常に重要な事だと再認識します。
もっと韓国の事を知らないといけません。

ということで少し韓国カトリックの勉強ということで、俗っぽいですがカトリックの韓流スターを調べてみました。

例によってWikipeです・・・

「ペ・ヨンジュンさん」これは誰でも知ってる有名なヨン様です。
「キム・ヨナさん」フィギュアスケートの金メダリスト。浅田真央さんのライバル。
「BOAさん」日本でのK−POPの先駆けかな。

ただし知っているのはこのあたりまで・・・
私は、韓流ドラマを見た事無いし、K-POPも聞いた事がないからあまり詳しくないんです。

「クオン・サンウさん」韓流ドラマのスター俳優。知りませんでした。。
「キム・テヒさん」韓流ドラマのスター女優。知りませんでした。。

こんな事ではダメですね。韓流ドラマ見なければ・・・

「いま頃遅いよ!!」と言われそうですがいままで興味がなかったから仕方ないです。
せっかくですからクオン・サンウさんとキム・テヒさんがでてる「天国の階段」あたりがいいかもしれません。

「天国の階段」は大ヒット作のようですが「交通事故で主人公が記憶喪失になる」とか「継母のいじめ」とか、韓ドラの壷をおさえている作品のようです。
韓ドラでは「悪役はスターへの登竜門」ということのようで、キム・テヒさんは悪役として注目されたみたいですが「斜めに振り向いて大きく目を見開き睨む」という「ユリにらみ」と呼ばれる演技手法が話題になったらしいですね。
面白そうですね!!好奇心が沸きます!!

そのキム・テヒさんなのですが、残念なことに今、日本でバッシングされているそうです。
私にとっては、カトリックの韓流スターは、同じ信仰を持つ兄弟姉妹ということになるのでこれは少し気になります。

なんでも「独島(日本領竹島)は韓国の領土」というTシャツを着ていたとか・・・
しかし私は「韓国人なのだから仕方ないんじゃないの。」と思いますね。
日本人の私は「竹島は日本の領土」と思っていますから、立場が違うということでお互い様です。

政治の問題を、芸能人や一般市民にぶつけるのは、スジが違う。
市民レベルでは「それはそれ、これはこれ」で国際交流は大切です。

日本語も勉強して日本のことを理解しようとしてくれているのにバッシングされたのでは日本をイヤになりますよね。

『ユリにらみ』で睨まれたりして・・・


「キム・テヒさん。バッシングに負けるな!」と思わず思ってしまいました。

しかし、「ユリにらみ」ってあんまりキリスト教的ではないんだよなあ・・・

君が代の不起立についてどう思いますか?

橋下市長が知事時代に「君が代起立条例」を定め、公立学校の卒業式などでの不起立職員(教員)が処分され話題になりました。

この国旗国歌に対する公立学校の不起立教員の問題ははたして憲法19条の問題なのか?

橋本市長は「服務規律の問題」と言ってました。
つまり憲法19条の問題ではなく地方公務員法32条の問題になるということなのだと思いますが、確かに君が代は国旗国歌法で国歌となったので、学校では国歌に対する儀礼の示し方を公的儀礼の教育として行うということなのでしょう。
従って教師の場合、不起立ということは、思想信条の自由という話ではなく教育に対する職務違反、服務規律違反の話になってくるのでしょうね。

ネットでいろんな意見を見てみると「成人の年齢に達したものが、君が代反対の思想を持つことは自由だと思う。児童生徒の不起立は公的儀礼教育という点で微妙。ただし公務員たる教師が税金で給与をもらいながら公然と職務違反を行うというのは絶対に許せない」という意見があった。

私の意見もこの意見にとても近い感じがしました。

自分で家庭教師をやる分には、君が代とご縁を持つことはないのだから公務員(教員)をやめればいいんです。
教員という立場の既得権に固執しながら職務違反をする姿に、やはりルール無視の傲慢さを感じます。
民間の場合は業務命令には逆らえないですからね。
つまり思想の問題ではなくルールに対する官民の意識格差の問題なのでした。

自分の意見を主張することと、ルールと公的儀礼を守るということとの間に齟齬があってはいけない。
ルールを無視して自分の主張を述べられても話を聞く気にならない。

「意見は違えど話ができる状態」
じゃないとね。

センチメンタルなところにばかりこだわっているから進歩がない。
私はやはりこういう サヨクの感性 が苦手なんですよね。

奄美大島が、長崎の五島列島のように、カトリック信徒の人口比が高い地域であるということをいままで私は知らなかった。

既に大正時代には、現在と同じ4000人強の信者がいたようですね。

カトリック正義と平和協議会のHPを見て知りましたが、実は、本年度10月開催の正平協の全国大会において、「奄美でカトリック排撃運動はなぜ起こったのか?」という勉強会があるようです。

他の地域と比べ、カトリックが多かったという特殊性?からなのか、昭和初期の大戦前に、組織的なカトリック排斥運動が起きたらしい。
排撃運動
、排斥運動と書くと自然発生的で市民運動的な感じですが、wikipeを読んで驚きました。
これは国家権力による組織的なカトリック弾圧、迫害だと思った。

カトリックは宣教が始まった戦国時代から、迫害の歴史が続きますが、明治の再宣教以後に(限定的ではあるものの)弾圧迫害があったとは、私は知りませんでした。

正平協主催の勉強会というものは、常に警戒してきた私ですが、この勉強会は意味があるのではないかと思った。

やはり昭和初期というのは、
軍国主義(国家主義
全体主義)の時代。共産主義も含め国家主義 全体主義には、私は断固反対でゴメンこうむりたいです。

正平協も、日本の軍国主義を重ね合わせるかたちで、北朝鮮、中国の宗教弾圧、国家統制に対し、キッチリ反対する意思表示をするのであれば、正義と平和の主張に、それなりにスジがとおると思うのだけど、なぜか北朝鮮、中国の現状にはスルーしているような感じ・・・
ダブルスタンダードになってます。
これは少しおかしい・・・・・

1e4202e0京都カテドラルの小聖堂に「都の聖母」と名付けられたブロンズの聖母子像があります。

いままで私はこの聖母子像について詳しく知らなかったのですが、教えてもらって驚きました。

明治初期の「禁教令高札の撤去」の前に、京都の東山将軍塚あたりの土の中に埋められていたらしいのです。。。。。

近代の話なので、リアルさを実感し、感動しました。


※以下京都司教区HPからの引用です。
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フランス東部ジュラ県ディーニャ村サン・クロード司教区所属のレオン・ロバン神父(1802〜1882年)は、常々日本 の殉教者の記録を読み深く感激していた。彼は日本人の改宗のための祈祷会を起こし、会は1847年(弘化4年)10月22日サン・クロード司教区シャモン 司教により正式に承認された。会の目的は「日本に福音を説くために、教皇から派遣される司教および宣教師が入国できるように祈ること」であった。当時日本 では、幕府の厳しいキリスト教禁令が敷かれており、宣教師の入国は不可能だったからである。

1864年(元治元年)、ロバン神父はフランシスコ・ザヴィエルが聖母に奉献した聖堂を京都に建てたいと望んでいたことを知り、ザヴィエルが日本に携え て来たと伝えられる聖母の画像にちなんで、膝の上に幼いイエスを抱く六体のブロンズの聖母像をローマで鋳造させた。そして1865年(慶応元年)12月 31日ピオ九世教皇から聖母像の祝別を受け、御像を「都の聖母」と命名した。翌1866年、その中の一体が横浜にいたジラール神父のもとに届けられた。そ れには「京都に一日も早く宣教師が入れる日の来るように、市街を見おろす丘の一つに埋めて下さい」というロバン神父の手紙が添えられていた。当時、外国人 は、横浜、長崎、神戸などの居留地から出られず、京都に宣教師が入ることは不可能であったからである。

1873年 (明治6年)5月欧州外交団が仙洞御所の特別拝観を許された折、ヴィグルー神父は一人の日本人青年とともに、「都の聖母」の御像を持って京都に赴き、市内を見おろす東山将軍塚に埋めた。ロバン神父の願いはようやく叶えられたのである。

1879年(明治12年)9月28日フランス語教授という名目で京都に赴任したヴィリオン神父は、話に聞いていた将軍塚に登り、埋められた聖母像を掘り出した。彼は御像を大切に持ち帰り、高倉二条の借家に設けた仮聖堂に安置した。

やがてザヴィエルの願いが成就し、京都に聖堂の建つ日が来た。1890年(明治23年)5月1日河原町教会の献堂式の日、当時京都の属していた中日本代 牧区を管轄するミドン司教は、説教の終わりに、すでに脇祭壇に置かれてあった「都の聖母」の由来の一部始終を参列者に紹介した。今回「都の聖母」小聖堂に 安置されたのは、この聖母像である。

ああ、土に埋もれたまま
日本のために祈り給いし聖母よ、
我らのために祈り給え。

2004年9月29日
カトリック京都司教区

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仙台市博物館にある「慶長遣欧使節関係資料」は、国宝になってます。

肖像画「支倉常長像」「ローマ教皇パウロ五世像」
聖画「ロザリオの聖母」
その他に「十字架」「ロザリオ」「メダイ」

支倉常長宛の「ローマ市民公民権証書」というのもある。

合計47点の資料になります。

支倉常長遣欧に伴う遺産ですが、江戸時代の禁教の厳しさを思えばよく残されたものだと思います。

肖像画「支倉常長像」は、教科書かなにかで見た事があるような感じ。。。

478px-HasekuraPrayerhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:HasekuraPrayer.jpg

支倉遣欧は徹底的に秘されていたようで、明治の岩倉使節団が、イタリアで支倉遣欧の事実を知り「なぜ伊達が?大友の遺臣ではないのか?」と仰天したという話があるそうです。


文明の格差を実感し意気消沈しがちだった岩倉使節団は、支倉遣欧の事実を知って、大いに勇気づけられたといいます。

明治初期の文明開化の時勢のなかで、支倉常長は「海外雄飛」の象徴とされるわけですが、そんなこともあってか、この肖像画「支倉常長像」は明治期に加筆修正された疑いがあるという説もあるそうです。
「手に持ったロザリオが環状になっていないのが不自然」ということのようです。確かに顔の表情も祈りを捧げる顔という感じに乏しい・・・

真相はどうなんでしょう。。。 興味がわきます。。。

「ロザリオの聖母」は、もとは立派な絵だったような感じですが、中央に大きな折れ目がついているのが惜しい。ちょうど聖母マリアのところで折れ目がついているのです。
こちらはパブリックドメインかどうかわからないのでアドレスでご紹介。
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/syuuzou/hasekura/05.html

支倉常長も私が興味を持つ人物のひとりです。。。

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