カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。

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・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。

2011年12月

御降誕おめでとうございます。

今年は、震災で大変な年でした。
被災した方のお気持ちを思い、お正月も「『おめでとう』を憚る」という話もでています。
震災の傷跡はまだまだです。
主の御降誕を迎えて震災にあった方々の心に希望が生まれることを祈りたいと思います。

年末もあとわずかとなって、自分にとっての1年を振り返りますが
今年は私にとっては音楽観が大きく変化した1年でした。
モーツアルト、バッハ、パイプオルガン・・・ブログでもいろいろ書かさせていただきました。

おとといの23日は、パイプオルガンの聴き納めで京都コンサートホールに行ってまいりました。

京都コンサートホールパイプオルガン








京都コンサートホールのパイプオルガンは、とにかく凄い。大きい!!!

パイプオルガンは空間も楽器のようなものなので、やはりホールの広さや音響などのバランスが大事なんでしょうね。
カラオケ大会ぐらいにしか使わない多目的ホールに不釣り合いで不相応なパイプオルガンがついている公共施設もあるみたいですが、そういうのは税金の無駄遣い。

京都コンサートホールはクラシック専用ホールなのでいい感じです。

オルガニストは、プロフィールを拝見すると凄い経歴のお二人だったのですが、経歴の中の「『片倉キリストの教会』オルガニスト」「聖グレゴリオの家宗教音楽研究所講師」というところで目が止まりました。
やはり教会のオルガニストもされているのですね。

「聖グレゴリオの家宗教音楽研究所」はカトリックの機関のようです。
HPを見たら、賛助会の会長は指揮者の大友直人さんだった。
大友直人さんはカトリックなんだろうか?
大友宗麟の末裔だったりして・・・

「聖グレゴリオの家」
詳しく知らないですけど、こういう研究機関が日本のカトリック教会にあることは救いです。
東京の人がうらやましい・・・

多くのプロテスタントの人も学びに来られているみたいで、こういうエキュメニカルはいいですね。

教会には、多くの傑出した音楽家がいるのではなかろうか・・・

教会音楽の歴史の厚み、傑出した人材。音楽系の人材の厚みをもって、多くの小教区で伝統に沿った教会音楽が再興することを願いたいです。


早いもので、もうすぐ1年が終わろうとしています。
昨年の今頃は、クリスマスを前にして、カッチーニのアヴェ・マリアの聴き比べなどを記事にしておりました。
ついこの前だったような感じがします。
時の流れが早い早い・・・・・

その際に紹介記事を書こうと思っていたCDがあったのですが延び延びになって1年過ぎてしまいましたので、クリスマスを前にアップしたいと思います。

アヴェマリア33
「Ave Maria 33」


avex から発売されているクラシックオムニバス3枚組CD。
avexってEXILEのレコード会社ですよね。
意外な感じです。


アヴェマリアのみで33曲も入っています。
シューベルト、バッハ/グノーはもちろん。
グレゴリアンも、カッチーニもマスカーニも・・・
ブラームスもブルックナーもリストも・・・

作曲者はいろいろですが、全部アヴェマリア。

CDの表紙のマリア様の絵もラピスラズリのブルーが入っていてオーセンティックです。

ところでこのCDを作ったプロデューサーさんっていったいどんな方なんでしょうね。

「あなたはいったい誰???」という感じ・・・

フリードリヒ・フォン・ハイエクは自分の事を保守主義者とは称さなかったようですが、伝統のなかから自然に生まれる秩序「自生的秩序」という考え方を重視したところに保守主義者としての一面が見えるらしいです。

以下wikipeの引用ですが・・・

ハイエクは特にフランスに見られるような、「理性」に至上の地位を与えるような合理主義には常に反対していた。人間は現存の秩序をすべて破壊し、そこにまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではないとし、既存の秩序、つまり「自然発生的秩序」の重要性を説いた。彼の自由主義は、あくまでイギリス・アメリカ的経験論に基づくものである。コモン・ローなどがその代表例としてあげられる。彼は理性の傲慢さのもたらす危険性を常に問題視していた。

考え方に少し引きよせられるところがあります。
倫理道徳を破壊する自由は拒否したいし、進歩が全くない保守でも困る。ハイエクという人はバランスがとれている感じがします。
ただしハイエクの語る「自生的秩序」は多元主義的な含みがあるみたいです。

そして再びwikipe引用ですが、エドマンド・バークの「本源的契約」はこんな感じ・・・

バーク保守主義はフランス革命により提示された「社会契約」ではなく「本源的契約」を重視する。多年にわたり根本的に保持してきたもののなかに
「本源的契約」の存在があり、祖先から相続した古来からの制度を擁護し、それを子孫に相続していくとする政治哲学である。

バークは18世紀の人ですがハイエクとよく似ています。
ハイエクの考え方に影響を及ぼしているのでしょうか?

ただし「自生的秩序」「本源的契約」といっても、日本の現代社会においては、過去からの精神的遺産は、不連続で断絶しかかっているような感じもします・・・

ヨーロッパ人のハイエクやバークが、自信をもって語る「自生的秩序」「本源的契約」の源流には何があるのか?

カトリック的な見方をすれば、やはり「中世」というものが頭をよぎります。「中世」というのは歴史における一時代というだけでなく精神そのものみたいな・・・

日本にないのが残念ですが・・・

なんか、読みかけになってしまっていた岩下壮一著「カトリックの信仰」にまた引き戻されそうな感じです・・・・・

かつて資本主義陣営と社会主義陣営に世界が2分されていた時代、対立軸は今に比べがずいぶんシンプルだったように思います。
私はこのときの政治体制の構図が、いまだに頭にしみついてしまっているので、現在の政治状況が理解しきれていない感じがしています。
やはりベルリンの壁が崩壊してからの世界を、もう少しロジカルに理解把握したい感じです。
詳しく理解する事は無理でも、政治思想としての大まかな枠組みは知らないと、やはり有権者として自分の立ち位置が把握できない。それはマズい。

以前ブログの記事でも書きましたがリベラルとリバタリアズムの違いについて理解があいまいで「自由」の概念について少し混乱がありました。

実は「保守とは何か」ということについても認識が怪しかったということがわかりました。

政治思想の極左と極右は、対極ということで一本の直線の帯の両極ととらえがちなのですが、リング上にしてつなぎあわせて隣接させる見方があるようです。
そうすると極左と極右は「対極」なのではなく「隣接」。違いは民族主義的かどうかというだけで実は共に集産主義的な全体主義国家を指向しているところはかなり似ているということのようなのです。
その場合、極左と極右のポイントの反対側あたりに何がくることになるのかですが、やや右側に寄ってはいますが、経済政策的には「自由主義」で政治思想的には「保守主義」が位置するみたい。。。。。
「保守」はそれほど「右」ではないんですね。

しかも、私はいままで自由民主党を「右」と思っていたのですが、経済政策的にはどちらかと言えば公共投資重視でケインズ主義的ですから、はたして「右」と思ってよかったのでしょうか?
もしかしてやや左だったりして・・・

経済政策と政治思想は見方が少し違うと思いますが、政治思想としての「保守」の考え方については、フリードリッヒ・ハイエクが「自生的秩序」、エドマンド・バークが「本源的契約」という考え方を示しているらしいのです。

インターネットと若干の新書本で掴む断片的な知識ではありますが、少しづつ整理と理解が進み、目から鱗の状態・・・

少し長くなるので「自生的秩序」「本源的契約」についての感想は次回に・・・

一週間前のことなのに、ずいぶん過ぎたような感じがしますが、この前の大阪ダブル選挙では、やはり結果に注目しました。

従来とは価値観の対立構図がかなり異なる選挙だったし、高い投票率で、選挙を通じて時代を共に生きる人々の意識を感じることができたというか・・・

私個人の期待感は橋下さんのほうが強かったのですが、なんとなく平松さんがギリギリで勝つと思っていました。
マスコミの橋下バッシングもあったし、なんといってもオール政党が平松さんをバックアップしていたので「人物的に好感が持てるし、組織票の強さがでるだろう。選挙はそんなもんだ。」と勝手に思っていたのです。

結果が意外な大差で驚きました。

「なんでだろう?」という感じですが、やはり橋下さんの主張のわかり易さに対し、平松さんの発言や選挙戦術が、大きくズレていたことが原因のように思えてきました。

平松さんは充分に勝てる候補なのに、選挙の戦い方に失敗した感じ・・・

橋下さんの「独裁が必要」という発言をもって、平松さんは、橋下さんをファシストとみなして20世紀型の対立構図に持ち込んだ感じでしたが、どう考えても攻めるポイントが少し違ったように思うし、かみあってなかったのかもしれない。

平松さんは「大阪を守る」という発言もしてたけど、少し言葉が浮いてました。
有権者には、改革に後ろ向きで「大阪市役所を守る」というふうにしか聞こえなかったのかも。
「『独裁者から大阪を守る』というようなヒロイズム」ではごまかされない市民のしたたかさなんでしょうね。

選挙の結果をみると、有権者は「独裁者を恐れる」よりも「既得権益の打破のために強い指導力が必要」と思っていて、「『改革できない聖域のような行政構造』こそが権力であり問題の根源」とみなしたのではないでしょうか?

敗れた平松さんの事をくどくど書くのは申しわけないのですが、平松さんの敗北は、少し大袈裟ですが「旧体制の敗北の象徴」のように感じてきました。

政治をめぐる対立が単純な「左」対「右」の図式ではなくなっているという事。パラダイムの転換というんでしょうか?

みんな古くさく感じてきた。
政党。民主党も自民党も社民党も共産党もほとんど。
役所。議会。労組。マスコミも・・・

難しい事はわからないとはいえ、私自身も有権者なわけで、いつまでも20世紀型の単純な「左対右」図式で政治を見るのではなく、次の投票行動を考えるにあたって新しい判断基準を持たないといけないと思いました。

難しいけど新しい時代になってきた感じ。

やはり新自由主義がキーワードなんだろうか?

ハイエクとか、フリードマンとか。もう少し知らないといけない。
わかり易い本を読んでみたいと思います。

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