カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログ。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
・現在の日本のカトリック教会は「伝統の断絶」「偏った政治指向」があると感じています。
・特別形式ミサ(伝統様式のラテン語ミサ/トリエント・ミサ)の実施に参加しており、不定期な開催の場合は、その告知を行います。

2011年11月

アドベントも始まり、クリスマスが近づいてきました。

街もクリスマスの飾り付けがされて華やかな感じです。
先日、ショッピングセンターの大きな書店に行ったら、絵本のところにクリスマスコーナーができてました。

サンタクロースの話が多いです。
というかほとんど。というか全部!!!

なんと主キリストの降誕の話が一冊も置いてない!!!!!


ちょっと偏ってるなあという感じがします。。。

クリスマスは、サンタさんがプレゼントを持ってきてくれる日というだけなのか・・・

サンタさんは福の神みたいで、日本の精神文化的には七福神というか、そんな感じで受け入れ易いのかもしれませんが、主キリストの降誕の話が飛んでしまっては、本来の意味を離れてしまっています。

イルミネーションを楽しんで、クリスマスツリーを飾って、ケーキを食べて、サンタさん?からプレゼントをもらって・・・
四季のなかの歳時記として定着しているのかも知れませんが、主役が不在。
クリスマスは、「主キリスト降誕のお祝い」ということを知らないまま大人になって外国人と会ったときに恥をかいたりして。

そんな事に目くじらたてずに、家族なかよく楽しむ姿をほほえましいと思えばいいんじゃないの・・・という考え方もありますが。。。

少しサンタさんが目立ちすぎ!!!
わたしでも「クリスマス」と聞くと頭の中でサンタさんをイメージしてしまったりして。

「クリスマス」という呼び方はもう止めたい・・・

少しWikipeでいろいろ見てみました。

サンタクロースは、小アジアの聖ニコラウスが起源。真っ赤な服を着てトナカイに乗って、聖ニコラウスとはイメージ的にもう別人という感じ。語源はオランダ語「シンタクラース」なんですね。

「クリスマス」の呼び方をどうするか。これもWikipeが参考になります。

ラテン語 Christi Natalis(クリスティ・ナタリス)ではちょっと構えすぎますね・・・知りませんでした(恥)

ギリシア語 Χριστούγεννα(クリストゥ・ゲナ)「Xmas」と綴る表記の語源・・・これも知りませんでした(恥)

御降誕祭という言い方は?・・・う〜ん少し堅い。

ノエルがいいかもしれません・・・少しイヤミですが。

こんなことを考えている私はやはり、イヤミな偏屈オヤジですねえ・・・

ビデオテープが邪魔になってきて、めんどくさいんだけどDVDに焼き直しています。
「長い間、ほとんど見てなかったのに、いまさらDVDに焼いてどうすんの?」という視線を背中に感じながら、黙々と作業をしているわけなのですが、これが掘出し物がでてくるんです!

深夜番組で放送していたものを撮りだめていた「トワイライト・ゾーン」もそのひとつ。モノクロですが、やはりシナリオがいい!!

今回の「死神の訪れ」というギョッとするタイトルも「トワイライト・ゾーン」の名作のタイトルの一つですが、若き日のロバート・レッドフォードが出演してたりします。

ストーリーは、死神に命を狙われていると思い込んでいる老婆が主人公。
倒壊寸前の古くて汚いアパートに住んでいて、立退きを迫られているんだけれども、この老婆は訪ねてくる人を皆、死神と思い込んで家の中に誰も入れようとしない。
しかし、家の前で、警官が銃で撃たれてしまい、ついに家の中に入れてしまうのだが・・・・・

(以下ネタばれ?注意)

この老婆は、結局、人生の最後を迎えることになるのだけど、その最後がエっ!という感じでかなり印象に残りました。
文章だと、タイトルが不気味でストーリーも重い感じがするけど、この最後の一瞬が、蝶の脱皮のようなさわやかさで「死というものがこういう感じだったらホントにいいなあ」と思わされるラストシーンなのでありました。

ただし、主人公は生きている間は、猜疑心と恐怖で凝り固まって、悲惨な人生。死を美化しすぎるのは問題のようにも思ったり・・・

今ある人生を、精一杯、一生懸命生きることは、何よりも大事で、死神さんが来てもらっては、やはり困ります。
死神さんが来るのはドラマの話だけにしてほしい。
訪ねてきても、本物の神様にお守りいただいて、死神さんのほうはお帰りいただくようにしたいと思います。

士農工商の人口構成比ですが、おおよそ「士が1割 農工が8割 商が1割」ということだったみたいです。
「士の定義に郷士を加えると違う」とかいろいろな説があるみたいで、正確ではないのかもしれませんが当たらずとも遠からずといったところなのでしょう。
士農工商なので4階層のように感じますが「実態は農と工の階層はあまりなく、武士と地方平民と都市平民という感じだった」という説もあるようです。

現代ではどうか。公務員の人口構成比をネットでパラパラみたら4%とか6%という数字がありました。もっとも特殊法人や第3セクターなどを入れると10%を越えるそうです。武士の割合に似てきますね。

いまTPPが話題になっていますが、これも開国か攘夷かみたいで・・・

500年ぐらい先の未来の人が、今の日本をみたら江戸時代と似ていると思ったりして・・・

武士階級が儒教的倫理観を担っていたとか、江戸時代の良かった部分もあるかもしれませんが、非生産的な階層が支配階層として存在する時代、キリシタン禁制の時代ですから、私にとって江戸時代は閉塞感を感じる時代ではあります。

現代が江戸時代に似ているかどうかは別として、やはり今の時代は閉塞感が強いですね。
やはり、閉塞感を打ち破る改革が必要だと思います。

小泉さんは最近では否定的な見方が強いようです。
社会主義的な目線で見れば資本家寄りというか・・・
確かに社会弱者に対する対応が弱い感じがあったような・・・
しかし道路公団と郵政の民営化は大きな功績だと私は思います。
民主党は、国民新党と手を組んでなんか逆向きのような感じですが、今の時点で中途半端な評価をしてまた逆転させるのはエネルギーの無駄でホントにやめて欲しい。

中曽根さんもいろいろ言われた人だったけど国鉄民営化を成し遂げた。
今のJRを見れば、国鉄民営化は正しかったということに異論がある人は少ないと思います。
中曽根、小泉のお二人にはなんとなく共通項を感じる。やはりリーダーシップがあったんでしょうね。二人とも長期政権だったから。

野田さんはどうかなあ・・・なんとなく竹下さんみたいな感じがするけど・・・竹下さんの功績は消費税か・・・
国民目線では微妙だけど、政府として歳入の道を切り開いたことは功績なのかなあ。う〜ん・・・

やはり官の非効率な部分にメスを入れるリーダーに、私は市民感情として拍手したくなります。
官のみが優遇されて、官と民で階層化ができるのは問題です。

庶民レベルの生活では日本の社会は厳しくなる一方で、なんとなく規制強化を求め、社会主義的な方向を求めているような空気を感じるけど、昨今の社会の厳しさは、新自由主義による極端な富の偏在の結果というよりは「フラット化する世界」のなかでの必然のような気がする。
途上国が発展していくことで、世界的な視野で見れば貧困は減って行くんですよね。「新興国」と「その他の国」の垣根はありますが・・・

TPP反対というのは、やはり世の中の流れに抗している感じがします。
既得権を手放したくないという事で規制を求める。規制強化の方向は既得権を持っている人のためなんですよね。なんか社会主義的になるほうが既得権の有無で階層化されるような・・・
ここらへんがこんがらがってしまうところで、う〜ん・・・・・難しいですね。

ということで消化不良のまま話は終わり。
どうもすいません。

ところで大阪市長選が近づいてきています。

橋下さんと平松さん。二人のリーダーをどう見るか。
久々に注目してしまう選挙ですねえ。

床屋政談でした・・・・・

永い事、教会を離れていた時期があったので、教会に戻ってからは、その贖罪の意味もこめて、教会のめんどくさい役も引き受けてきたのですが、家族の事にもっと目をむけないといけない状況変化があり、少し教会の役が重荷になってきました。

そろそろお役の交代をお願いしようと思っているのですが、実はこれがなかなか引き受けてくれる人がいない。

一度、教会の役を引き受けたら、もう最期。抜けられない。
まるでアリ地獄・・・・・

先日もある人に役の交代について相談しようとしたら、話をブチッと打ち切られて逃げられた。まるで「自分には関係ない。なんで私がそんな事をしなきゃならないの」と言わんばかりで自分の事で精一杯なご様子。
頼む頼まれるは立場の違い。奉仕が前提なのだから、いま私が頭を下げお願いしているのは、たまたま立場が違うだけということがおわかりでない。

精一杯なのはこちらのほうで、だから相談しようとしてるのに、隣人愛はどこにいったのか??と問いたくなりますね。
もっとも、もっと参加してほしいと思う少し引いてる感じの人にあえて頼もうとしたのだから、想定内の反応ではあるのだけど、とりつくひまもないような対応をされると、正直いって精神的に疲れる。虚しい。

教会といえども俗人の集りで「相手の事を思いやれない余裕の無い人」も世間並みにはいるわけです。
思いやりの心か、せめてコミュニケーション力か、どちらかが普通であればギクシャクはしないんですけどね。

正直なところ、私自身が、このめんどくさい役まわりから逃れたいという気持ちがあるのも事実で自己嫌悪も起きる。
私自身が「余裕の無い人」ではあるのでした・・・・

もっとも、教会にとって必要とは思えない無駄で無意味な行事や会議が多過ぎるのも事実。やり方も極めて非効率。
構成メンバーは、どんどん高齢化しているのにです。

思考停止はだめですね。



荘厳司教ミサで感動した「プレリュードとフーガ イ短調 BWV543」の余韻をまだまだ味わいたくて、iTuneでバッハのパイプオルガン曲を何曲か買いました。

カール・リヒターが第一人者みたいですね。名前ぐらいは聞いた事があったような・・・

視聴をしながら曲を絞っていきましたが、どうやら私が気に入ったのはフーガだったようです。

フーガについてWikipeでは「提示部のなかで同じ旋律が複数の声部で順次繰り返される」と書いてありました。主唱、応唱、対唱という旋律の組み合わせに何か妙があるんでしょうね。音楽理論は全くわかりませんが、音の組み合わせの法則性というか、秩序のようなものが心地よいのでしょうか。

バッハのフーガでは、ディズニーの映画ファンタジアでも演奏された「トッカータとフーガ ニ短調 BWM565」があまりにも有名ですが、素晴らしい曲なのにテレビなどで悲劇性をコミカルに表現する場面での引用が多すぎて、この曲は私のなかでは神秘性が失われてしまいました。
少し残念です。

ということで買ったのは、全て「プレリュードとフーガ」
BWM543 BWM542 BWM552 BWM548 BWM544 BWM546
の6曲。
(モーツアルトもバッハも番号があるのは本当にいいですね)

ひとつの楽器とは思えませんよね。
腕が何本もあって弾いてるみたいな・・・
足も使って弾くんですよね。
確かに凄すぎて人間が弾いてる感じがしない。
達人というレベルではなく超人というか・・・・
もう神業・・・・・

緩急、早遅、硬柔、細太などあらゆるコントラストが組み合わされて、あらゆる音が洪水ようにぶわーっと拡がり、包み込まれていくというか・・・
どの曲も、癒されるという感じは全くなく

緊張感の連続
!!

何回も繰り返し聴いてしだいにどの曲がどれだか解らなくなって大混乱し聴いているうちに

もう錯乱状態!!!

奥方に言わせると「この世の曲とは思えず怖い」という感想でした。
しかしこの世の曲とは思えないこの神秘的な緊張感が私にはたまりません!!

カール・リヒターは、パイプオルガンを弾きながら、神様とお話をしていたのではないかと思わせるような、鬼気迫る凄みのある演奏なのでありました・・・・・

↑このページのトップヘ