カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。

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・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。

2011年08月

「永遠の0」はフィクションですが、様々な実録がベースにあるようで、描写が非常にリアルでした。

作者の百田尚樹さんは、戦場体験者から直接話が聞くことは時間的にもうできなくなると思い、今、記録に留めなければならないと思ったそうです。

ストーリーの流れは、二人の若い姉弟が特攻隊員だった祖父の姿を知るために元隊員たちを訪ね、証言を聞いていく情景のなかで話が進むのですが、坂井三郎、岩本徹三、西澤広義などのエースパイロットの実話が巧みに挿入され、戦記としての凄みがありぐいぐい引き寄せられます。
また、証言のなかで少しずつ主人公である特攻隊員だった祖父の姿がしだいに見え始めるというミステリーとしてのおもしろさもあります。
ただし、家族を愛するがゆえに「死にたくない」と願う主人公の姿が、この小説のコアにあり、その哀しみがこの小説の主題です。

特攻隊で、現実に亡くなった人の死を「無駄だった」などと言う考え方は、非常に傲慢で私は気に入りません。
尊い犠牲だったと思います。

しかしその死をもって、特攻作戦を美化することにも、この小説読んで非常に抵抗を感じるようになりました。

「国や郷土を守る為に戦うことは尊い」しかし軍隊という絶対的な縦組織において「十死零生」「必ず死ね!」という強制ほど非人間な命令はない。
「特攻は自国民に対する死の強要。自国民の虐殺」だったのではないかという見方があります。
否定できないのではないでしょうか?
命令した者と命令された者の違いはあまりにも大きい。
無念さを感じつつ亡くなった人たちのことを想うと非常につらい。
「特攻隊員」の死は悼んでも、「特攻作戦」を美化してはならないと思いました。

大東亜戦争そのものが、人の命を粗末にしすぎた戦争として記憶に残り、無念さを想いつつ鎮魂と慰霊を続けていかなければならないのでしょう。

「永遠の0」は文体が硬くないので読み易く、是非青少年に読んでもらいたい感じがしました。高校生ぐらいの人に特におすすめ!中学生は少し早いかな。そうでもないか・・・

文庫の帯には「僕は号泣するのを懸命に歯を喰いしばってこらえた。がダメだった。」と児玉清さんの解説が書かれています。
まるで詩のような見事な感想!!です。
その児玉清さんも先日亡くなりました。
週刊ブックレビューというテレビ番組で書評をされていた姿が目に浮かびました。もの静かで知的な語り口が好きでした。
ご冥福をお祈りしたいと思います

亡くなった人たちのことを思い祈る時期ですね。

梯久美子さんの「散るぞ悲しき」は大宅壮一賞を受賞しています。
主観や推測を極力抑え、客観的な事実を丁寧に積み重ねていく文体で、読む人がそれぞれの視点で、いろんな感じ方が出来る本だと思いました。

戦記としても非常に詳細で克明。リーダー論、父親論としても読める。
硫黄島総指揮官であった栗林中将は、非常に優れたリーダーであるとともに極めて愛情の深い慈父だった。
残された手紙によって「親子の情」「家族の絆の深さ」ということが伝わります。

栗林中将の事が話の軸にはなっていますが、そのサイドストーリーの中で登場する兵士たちの一点一点の手紙にも涙しました。

硫黄島の戦いは、装備に格段の差がありながら日本軍よりアメリカ軍のほうが被害が多かったということでその奮闘が有名ですが、硫黄島の兵士たちはそのほとんどが召集兵で、年配の子持ちや十代の若者も多かったんですね。
ほとんど後方支援がなく大本営から捨て石とされた。
国家とは何か?ということも思いました。

死ぬ事はほとんどわかっており、言葉では書き表しきれない悲惨な状況であったにもかかわらず士気を保てたのは何故だったのか?

どんどん引き込まれて、アっというまに読み終えてしまった。
文学性が高いということで評価されたという事がよくわかりました。

戦争を知るという事では必読の書になるかもしれません。
とにかくお薦めします・・・

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