カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログ。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
・現在の日本のカトリック教会は「伝統の断絶」「偏った政治指向」があると感じています。
・特別形式ミサ(伝統様式のラテン語ミサ/トリエント・ミサ)の実施に参加しており、不定期な開催の場合は、その告知を行います。

2011年07月

原爆の日や終戦の日がある8月は、戦争の事を考える月となります。
「本を読む」「映画を見る」「資料館を訪れる」などいろいろですが、やはり心構えというか,事前に気持ちを整えて接したほうがいいと思います。

なぜこんな事を書くかと言うと、小学生のときに修学旅行で広島の原爆資料館を訪れた義理の姪なのですが、そのときは「恐怖心→忌避感情」の印象のほうが強かったみたいで、そこから先に思いが進まなかったようです。

せっかくの訪問を意義深いものにするためやはり事前の動機づけが大切。
「原爆資料館は小学生にはまだ早いのではないか?」そんな事も思います。

今年の夏は、梯久美子さんの「散るぞ悲しき」(栗林中将と硫黄島の戦いの話)と百田尚樹さんの「永遠の0」(特攻隊の話)を読む事にしました。

「散るぞ悲しき」のほうは読み終わりました。

読後感想を交えつつ、次回より戦争について書いていきたいと思います。

原発事故という二次災害、それに伴う電力不足という事態が震災被害の情報を希釈してしまい、私自身も被災者の人達への思いを鈍らせてしまっていたのではないか?

ガツンと頭を叩かれるような印象に残る話を聞きました。

被災地を回ってこられた神父様のお話。

被災地はまだ草木が生えない砂漠のような状態、なんともいえない腐敗臭がただよっていて、ひたすら重機による瓦礫撤去作業が続いているそうです。

「実は印象に残る事があったんだけど・・・」
という前フリがあってから話が続くのですが、「震災で特に津波災害が酷かった岩手県某市を訪ねた際、海岸で祈りを捧げていたら、次第に重機が止まった。無線で連絡していたみたいでね。1人2人と次々に集まってきたんだよ。お祈りは終わりかけていたのだけどもう一度最初からやり直した。
終わった後に、集まってくれた人達が口にした言葉が『ありがとう』だった。教会はおろかお寺にも行ってなさそうな人達だったんだけどね。」
という話でした。

もしかして重機で瓦礫撤去をしている人たちも被災者だったのでしょうか?
弔う祈り、鎮魂の祈りが行われているのを見て、共に祈らずにはおられなかった心境を思うと、胸につまるものがありました。

不条理にも、一瞬にして家族を失い、家と財産を失い、故郷を失い・・・
今、やはり必要なのは鎮魂の祈りなのですね。

重機を操作する男たちの手を止める祈りの姿というものが、どういうものであったのか聞く事はできませんでしたが、神父様の祈る姿も、あいまいな姿ではなく印象に残る姿であったのだと思います。

私の祈りと行動は、あいまいではないのか・・・・・

以下の聖句を思い出しました。

「汝は冷ややかなるにも非ず、熱きにも非ざるなり、寧ろ冷ややかに或は熱くあらばや。然れど汝は冷ややかにも熱くも非ずして温きが故に、我は汝を口より吐き出さんとす」(ヨハネ黙示録第三章)
※ラゲ訳

自分の温さを、反省しました・・・・・

一 見、世界を繁栄させ人類を幸福に導いているように見えるアメリカモデルですが、自由のもとに人間の欲望の果てしない増幅によって、地球そのものを破壊に導くような危惧を感じませんか?

アメリカ的な繁栄による幸福感を、中国やインド、世界中の途上国が追求したら間違いなくそうなる。

もう文明史観的に限界なんじゃないだろうか・・・・・

ディープエコロジーという思想が存在感を持つのもその反動のような気がする。

話を関連づけるのは少し無理があるかもしれませんが、イスラム原理主義がアメリカに敵意を向けるのも、中近東や西アジアにおけるアメリカの軍事的プレゼンスということだけではなく、近代思想への文化的文明的な反発もあるような感じがします。

イスラムファンダメンタリズムが、起点でしょうが、以前よりファンダメンタリズムという言葉をよく聞くようになりました。

「ファンダメンタリズム=根本主義、原理主義」という言葉にひっかかる今日この頃・・・・・

前々回、共和党支持者は、「リバタリアンでありながらファンダメンタリスト」と書いてしまいましたがちょっと不正確でした。同じ人間が真逆な思想を持つのは難しい。
「リバタリアンやファンダメンタリストは共和党支持」という書き方が正しいかったのかもしれません。

しかし、どうして同じ政党を支持するんだろう?複雑でよくわからん・・・・・

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追記

ノルウェーで悲惨なテロ事件が起きました。
多くの亡くなられた方のためにお祈りしたいと思います。

朝日新聞によるとノルウェー警察が「犯人は右翼。キリスト教原理主義者」としているようですが、キリスト教の場合、原理主義者であればなおのことテロを肯定する事はありえないと思うのだけど・・・
右翼とファンダメンタリストとは違うはず。
本人が自称しているのならば、いったい何を信仰していたんだろう・・・・・

そもそも啓蒙思想とは何か?ということになるのですが、雑駁に言えば「人間は理性を有しており、理性の根本原則のもとに社会を築き得る」という、なんとなく性善説をベースにしたような思想でしょうか?
トマス・ホッブス、ジョン・ロック、ルソー、モンテスキュー、ボルテール、カント、アダム・スミス・・・・・
などなど名だたる思想家たちが、それぞれ「哲学」「政治思想」「経済思想」などについて考え、そしてその思想から近代社会のフレームが形成されてきた感じ。

リバタリアニズムも、源流を辿れば古典的自由主義の系譜として啓蒙思想が生み出したものなのだと思いますが、リバタリアンは自由放任を是とする考えによって、麻薬所持、売春なども規制することには反対するそうで、その自由はいわば「悪徳をも許容する自由」「神無き自由」という感じですね。
私はどちらかというと性悪説なのか「本能のまま欲望のままの自由を解放することが、果たして人間社会の幸福になるのだろうか?」と思ってしまいます。
「宗教と道徳との十全性をそこなう妥協をいっさい受け入れないよう、極力注意しなければならない。」という教皇ヨハネ23世の言葉を当てはめば、リバタリアニズムも、やはり反カトリックの色合いが強いです。

無神論的な構図としては、社会主義共産主義の「既存の権威を引きずり降ろす平等」というのと似たようなものを感じる・・・こちらは「神無き平等」ですね。

人間には理性的な面もあるだろうけど、極めて不完全な存在であるということは疑いの余地がなく、啓蒙思想は人間の理性というものを過信しすぎているように感じる。

「自由、平等、博愛」はロベスピエールの言葉らしいですね・・・


青年の頃、もし「あなたが大切に感じているものはなんですか?」という事を聞かれた場合、なんと私は「自由!」と答えるような人間でありました。

今では違う事を答える気がしますが・・・

なんとなくですが、アメリカ的な価値観にかなり影響されていた感じがします。映画とかよく観たし・・・

ということでアメリカの話です。

私たちの社会は、政治的にも思想的にもアメリカの影響を強く受けているわけですが、実はアメリカという国家を理解することは非常に難しい感じがしています。
アメリカには共産主義がないから、右派左派という対立軸がわかりにくく混沌としている。
リベラルというのがあるけど、そもそもリベラルって何なのか?
左翼ではなくサヨクみたいなものなのか?

ベトナム戦争の頃は「リベラル=反戦」という感じだったけど、リバタリアニズムという言葉がでてきてからややこしくなったような気がします。
そもそもリベラルとリバタリアンってなにが違うのか? アメリカの保守ってリベラル??? 真逆ではないのか???
とにかく自由第一主義みたいな感じはわかるのですが・・・・

情けない事に私の政治哲学認識とはこのレベルなのですが、正直な話、アメリカに関してはややこしいのは事実だと思います。

森村進さん著「自由はどこまで可能か-リバタリアニズム入門」という本が出版されているそうです。
書評などを見るとこの本を読むと、幾分、理解が進むのではないかと思わせる感じがしました。ちらっとだけ、森村氏が定義する思想の類型を引用させていただくと

【リベラル】
精神的自由や政治的自由のようないわゆる「個人的自由」の尊重を説く一方、経済的活動の自由を重視せず経済活動への介入や規制や財の再配分を擁護する。

【保守派(コンサバティブ)】
個人的自由への介入を認めるが経済的自由は尊重する

【リバタリアン】
個人的自由も経済的自由も尊重する

【権威主義者(オーソリテリアン)・人民主義者(ポピュリスト)】
個人的自由も経済的自由も尊重しない

【全体主義者】
権威主義者(オーソリテリアン)・人民主義者(ポピュリスト)の極端な形態。ファシズムや共産主義。
【リバタリアン】の対極は【権威主義者(オーソリテリアン)】なんですね。
今度は「権威主義者(オーソリテリアン)って何?」という感じになってしまいました・・・・・

なんだか、かえってわからなくなりそうなところですが、最近になって、Rickさんから「現代社会をフランス革命を起点に見る」という見方を教えてもらったことがあったので、「アメリカとは独立戦争という経過でできた革命政権が起点にあり、既存の権威秩序を崩壊させた上に成立した啓蒙主義の国」と見てしまえばいいと思えてきてしまいました。

共和党の支持者には、リバタリアンであり、かつファンダメンタリストでもあるという人が多そうな感じがしますが、リバタリアニズムという思想の極端さをファンダ メンタリズムという思想で補っているような感じもします。

自由を求めれば求める程、宗教の存在がクローズアップされるのでしょうか・・・・・

ちょっと話が 長くなりそうなので次回に続く。

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