1.「権威」や「伝統」をあまり尊重しない
2.「自由」と「平等」と「平和」という言葉が好き
3.「権利」について語る(「義務」については語らない)
4.「権力」を嫌う(リーダーシップの強い政治家を嫌う)
5.個人的な問題を社会の問題ととらえる(社会の責任に転嫁する)
6.被害者意識で人権を考える。
7.愛国心を重視しない。
8.平和については性善説で考え空想的
9.軍隊は必要ないと思う。
10.○○○ネットワークというようなあいまいな組織を好む
11.格差があるのは差別の結果だとして糾弾する。
12.歴史観が唯物史観的。又は歴史観があまり無い。
ご意見もいただいてブラッシュアップもできて、とりあえず「サヨク」のイメージキーワードもこれで完成?ですが「サヨク」とは人間のタイプであるということで、だいぶイメージがクリアになりました。
世の中ではどんなタイプの人達とも共存していかねばなりませんが、正直なところ価値観の違いを乗り越えておつきあいするのはしんどい。できれば接点はなるだけ持ちたくないのが本音です。
残念な事に、日本のカトリック教会においては、正平協というサヨクエネルギーのかたまりのようなわかりやすい組織が存在しているからサヨク的な空気はただよっています。
政治的なメッセージに辟易している人も少なくはないし、100%サヨクのような人はなかなかいなくても、教会の掲示板には正平協のポスターが必ずあるし、正平協の影響力はやはりあります。
ただ実は・・・政治的なサヨク色は感じなくても、「変更」「改変」「刷新」という教会の動きのなかで、伝統色を薄めようとする意図に、私は「サヨク」を感じてしまいます。
「権威」や「伝統」をあまり尊重しない からです。
「天使祝詞」もついに公式には使用しないということになってしまいました・・・・・またひとつ伝統を失います。
サヨクの精神構造のコアにあるのは「反権威」「反伝統」ではないのか?
政治色を帯びていないだけにわかりにくく根が深いです。
キリシタン迫害の時代。
「8代あとには、ぱっぱ様のふねに乗ってパードレが来てくださる」という話を伝えた長崎外海の伝道士バスチャンは、そのパードレの見分け方を
1.聖母マリアを崇敬していること
2.独身であること
3.ローマ教皇に従うものであること
としたそうです。
この条件は今でも生きていると思いますが、「刷新」の動きのなかで、変わってしまう日が来るのでしょうか。
既にあやしい人もいるような気がしますが・・・・・
教会の掲示板にある本田哲郎さんのポスターをじいーっと見ながら、この方ははたして伝道士バスチャンの条件に合ってる方なのかと、疑い深い目でジロジロ見る、わたくしめなのであります。
日本のカトリック教会的には「サヨクな人」はヴァチカン的なものを「変えたがる人」であり、その反対は「ウヨクな人」ではなく、ただ単に「変えたくない人」「伝統を守りたい人」なのです。
「変化」→「不安定」→「動揺」
「変わらないもの」→「安定」→「浸透・深化」
という単純な話のような気もするのですが、なぜ「刷新」しなければならないか、わたしにはさっぱりわかりません・・・・・
ところで「変えたくない人」「伝統を守りたい人」というのは、どのような人なのでしょうか?
教会では表面的にはあまりわからないように思っていましたが、実は思いもよらない若い人が「伝統を守りたい人」であることがわかり驚く事があるのです・・・
2.「自由」と「平等」と「平和」という言葉が好き
3.「権利」について語る(「義務」については語らない)
4.「権力」を嫌う(リーダーシップの強い政治家を嫌う)
5.個人的な問題を社会の問題ととらえる(社会の責任に転嫁する)
6.被害者意識で人権を考える。
7.愛国心を重視しない。
8.平和については性善説で考え空想的
9.軍隊は必要ないと思う。
10.○○○ネットワークというようなあいまいな組織を好む
11.格差があるのは差別の結果だとして糾弾する。
12.歴史観が唯物史観的。又は歴史観があまり無い。
ご意見もいただいてブラッシュアップもできて、とりあえず「サヨク」のイメージキーワードもこれで完成?ですが「サヨク」とは人間のタイプであるということで、だいぶイメージがクリアになりました。
世の中ではどんなタイプの人達とも共存していかねばなりませんが、正直なところ価値観の違いを乗り越えておつきあいするのはしんどい。できれば接点はなるだけ持ちたくないのが本音です。
残念な事に、日本のカトリック教会においては、正平協というサヨクエネルギーのかたまりのようなわかりやすい組織が存在しているからサヨク的な空気はただよっています。
政治的なメッセージに辟易している人も少なくはないし、100%サヨクのような人はなかなかいなくても、教会の掲示板には正平協のポスターが必ずあるし、正平協の影響力はやはりあります。
ただ実は・・・政治的なサヨク色は感じなくても、「変更」「改変」「刷新」という教会の動きのなかで、伝統色を薄めようとする意図に、私は「サヨク」を感じてしまいます。
「権威」や「伝統」をあまり尊重しない からです。
「天使祝詞」もついに公式には使用しないということになってしまいました・・・・・またひとつ伝統を失います。
サヨクの精神構造のコアにあるのは「反権威」「反伝統」ではないのか?
政治色を帯びていないだけにわかりにくく根が深いです。
キリシタン迫害の時代。
「8代あとには、ぱっぱ様のふねに乗ってパードレが来てくださる」という話を伝えた長崎外海の伝道士バスチャンは、そのパードレの見分け方を
1.聖母マリアを崇敬していること
2.独身であること
3.ローマ教皇に従うものであること
としたそうです。
この条件は今でも生きていると思いますが、「刷新」の動きのなかで、変わってしまう日が来るのでしょうか。
既にあやしい人もいるような気がしますが・・・・・
教会の掲示板にある本田哲郎さんのポスターをじいーっと見ながら、この方ははたして伝道士バスチャンの条件に合ってる方なのかと、疑い深い目でジロジロ見る、わたくしめなのであります。
日本のカトリック教会的には「サヨクな人」はヴァチカン的なものを「変えたがる人」であり、その反対は「ウヨクな人」ではなく、ただ単に「変えたくない人」「伝統を守りたい人」なのです。
「変化」→「不安定」→「動揺」
「変わらないもの」→「安定」→「浸透・深化」
という単純な話のような気もするのですが、なぜ「刷新」しなければならないか、わたしにはさっぱりわかりません・・・・・
ところで「変えたくない人」「伝統を守りたい人」というのは、どのような人なのでしょうか?
教会では表面的にはあまりわからないように思っていましたが、実は思いもよらない若い人が「伝統を守りたい人」であることがわかり驚く事があるのです・・・