3月11日から2週間たちました。
いまだかつてない大変過酷な災害。
「瓦礫のなかを、10才にも満たない子どもが二人で手をつないで離ればなれになった肉親を捜している。」
そんな大変つらい記事も読みました。
終戦後の日本で、これほどまでに厳しい災害はなかった。
被災者が失ったものを自分の立場に置き換えて理解しなければならないと痛切に思います。
私の住んでる地域は西日本なので若干の品不足はあっても被害はありません。代わりに緊迫感の欠如がある。
電車の中や昼食時の食堂でも、興味本位で無神経な発言や会話が時折耳に入ってきます。やはり精神的に未熟な若者の場合が多いですが、働きざかりの30代ぐらいの人もいます。
大変耳障りです。
文章に書くのも不愉快なので、いちいち書きませんが、どうして平気でいられるのか?
東北とは距離があるからなのか。
物的損害が甚大でそちらに目がいくからか。
痛ましさを直視する事で滅入るからか。
平気で花見の話をする人もいた。こういう状況で花見の予定を考える心境が私にはわからない。
キリスト教の話をするまでもなく、日本には「惻隠の情」という言葉があるはずですが劣化してしまったのでしょうか?
ビートたけしさんが「悲しみは個人的なものだから『死者不明者2万人の震災』ではなく『悲しい出来事が2万件起きている震災』と思わなければ被災者の悲しみはわからない。」ということを書いていました。
やはり「惻隠の情」には想像力が必要です。
「自分の事として考え悲しみを共有する。痛みを思う。」という気持ちを失い「自分の事、身の回りの事しか考えられない。人の苦しみを理解できない」というのはやはり心の病気だと思います。
震災の直後に石原都知事の「我欲を洗い流さなければ」という発言がありましたが「自分の事しか考えられない」というのは、この「我欲」なんでしょうね。
前後の発言に不適切なところがあってバッシングを受けましたが、「我欲」という言葉が大変印象に残りました。
実はえらそうな事を書いていても、私自身の心にもやはり「我欲」があるのを感じます。
「惻隠の情」と「我欲」のぶつかり合い。意気地なしの私にとっては「我欲」をねじ伏せるためには、自分の力だけではなくやはり神様を頼ります。
しかし今は、心の整理でモヤモヤしてる場合ではないですね。
被災した方のために祈ること。そして募金をすること。
現地での救援活動復興支援活動や原発の事故拡大防止のために頑張ってくれてる人のためにも祈ること。なにか少し犠牲をはらうこと。「惻隠の情」に命じられるままに、いま私が出来ることをまずやる。これは私的なこころの動き。
そして、しなければならないことをする。
しなければならないこととは、私にとっての公的な使命。
私的なこころと公的な使命。両方とも大切・・・
いまだかつてない大変過酷な災害。
「瓦礫のなかを、10才にも満たない子どもが二人で手をつないで離ればなれになった肉親を捜している。」
そんな大変つらい記事も読みました。
終戦後の日本で、これほどまでに厳しい災害はなかった。
被災者が失ったものを自分の立場に置き換えて理解しなければならないと痛切に思います。
私の住んでる地域は西日本なので若干の品不足はあっても被害はありません。代わりに緊迫感の欠如がある。
電車の中や昼食時の食堂でも、興味本位で無神経な発言や会話が時折耳に入ってきます。やはり精神的に未熟な若者の場合が多いですが、働きざかりの30代ぐらいの人もいます。
大変耳障りです。
文章に書くのも不愉快なので、いちいち書きませんが、どうして平気でいられるのか?
東北とは距離があるからなのか。
物的損害が甚大でそちらに目がいくからか。
痛ましさを直視する事で滅入るからか。
平気で花見の話をする人もいた。こういう状況で花見の予定を考える心境が私にはわからない。
キリスト教の話をするまでもなく、日本には「惻隠の情」という言葉があるはずですが劣化してしまったのでしょうか?
ビートたけしさんが「悲しみは個人的なものだから『死者不明者2万人の震災』ではなく『悲しい出来事が2万件起きている震災』と思わなければ被災者の悲しみはわからない。」ということを書いていました。
やはり「惻隠の情」には想像力が必要です。
「自分の事として考え悲しみを共有する。痛みを思う。」という気持ちを失い「自分の事、身の回りの事しか考えられない。人の苦しみを理解できない」というのはやはり心の病気だと思います。
震災の直後に石原都知事の「我欲を洗い流さなければ」という発言がありましたが「自分の事しか考えられない」というのは、この「我欲」なんでしょうね。
前後の発言に不適切なところがあってバッシングを受けましたが、「我欲」という言葉が大変印象に残りました。
実はえらそうな事を書いていても、私自身の心にもやはり「我欲」があるのを感じます。
「惻隠の情」と「我欲」のぶつかり合い。意気地なしの私にとっては「我欲」をねじ伏せるためには、自分の力だけではなくやはり神様を頼ります。
しかし今は、心の整理でモヤモヤしてる場合ではないですね。
被災した方のために祈ること。そして募金をすること。
現地での救援活動復興支援活動や原発の事故拡大防止のために頑張ってくれてる人のためにも祈ること。なにか少し犠牲をはらうこと。「惻隠の情」に命じられるままに、いま私が出来ることをまずやる。これは私的なこころの動き。
そして、しなければならないことをする。
しなければならないこととは、私にとっての公的な使命。
私的なこころと公的な使命。両方とも大切・・・