カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
・現在の日本のカトリック教会は「伝統の断絶」「偏った政治指向」があると感じています。
・特別形式ミサ(伝統様式のラテン語ミサ/トリエント・ミサ)の実施に参加しており、不定期な開催の場合は、その告知を行います。

2010年11月

待降節に入りました。
街でもクリスマスソングが聞こえるようになってきましたね。
クリスマスソングも季節感があっていいといえばいいですが
,少し食傷気味であるのも事実。別に目くじらたてるほどのことではないですが・・・
事に日本では本来の意味を離れてしまってますから、街で流れているポップスのクリスマスソングとは違う曲が聞きたくなります。

そんなおり、インフルエンザの予防接種で訪れた病院で偶然シューベルトのアヴェマリアを聴いたのですが実はこれが良かった!!
テノールの独唱でした。パバロッティみたいな感じ。少し力強いのがイイ!!

興味がわいて、iTunesで
アヴェマリアを検索したら出てくるわ出てくるわ・・・

いろいろプレビューで聴いていたら次々に欲しくなって、ホイホイとクリックして買い込んでしまいました。

作曲家は、シューベルト、バッハ/グノー、マスカーニ、カッチーニ の4人。
歌手、演奏者は、テノール独唱(パバロッティさん)ソプラノ独唱(山田英津子さん) バイオリン(淑野裕香子さん)チェロ(池松宏さん) の4人。

パバロッティは、残念なことにシューベルトしかなかった。山田さんは4曲あり。淑野さんはバッハ/グノーがない。池松さんはマスカーニがない。ということでトータル11曲のアヴェマリア。

この聴き比べは贅沢です。

シューベルト、バッハ/グノーのアヴェマリアは、本当に美しい曲で以前から好きでした。
マスカーニのアヴェマリアは映画「眺めのいい部屋」で使われていた曲じゃないかな。美しい情景がまぶたに広がりますよね。
カッチーニのアヴェマリアは、カトリックである私にとっては胸が締め付けられるような深い情感があります。

「中年のおっさんのくせに!」とお思いの方もおられましょうが、俗世にまみれたおじさんだからこそ、年末ぐらい美しい曲に浸りたいんデス・・・
普段は居酒屋で「やっぱり焼酎は芋焼酎がイイね!」とか言っていますからこれは秘密・・・

皆さんは、どのアヴェマリアが好きですか?

今回の荘厳司教ミサではカトリック聖歌から日本語の聖歌も2曲選曲されていました。ラテン語の厳かさに感動しつつも歌う事が難しい中で、私の母は自分でも歌える歌があったことに喜んでおりました。カトリック聖歌は覚えてない曲でもなんとなく歌えるんですよね。

そのカトリック聖歌ですが、私の所属する小教区では、カトリック聖歌集そのものがもう教会内に置かれていない。
フォークミサの歌といっしょに、ほんの少しだけ選出されて別冊の歌集としてとじられています。
お葬式のときなどには「主よみもとに」などを歌います。やはり歌っていて無理がなくジーンときます。
詳しく知りませんが「主よみもとに」はもとはプロテスタントの賛美歌なんでしょうか?
いい曲だと思います。
他にも「みもたまも」なども好きなんですがとじられていたかな?
というわけで、カトリック聖歌集が欲しくなって自分用に買っていたわけですが、これが荘厳司教ミサの予習に役立って良かった!

典礼聖歌もいいと思える曲がないわけではありませんが、カトリック聖歌のほうが断然いい。
1音符にやたらと言葉を詰め込む典礼聖歌は、カトリック信徒ではない人に感想を聞くと、かなり違和感があるようです。

一方、グレゴリオ聖歌のほうは、小教区で歌うことは全く無いので聴くだけ。。。
「パイプオルガンの伴奏がある聖歌」「歌唱だけの聖歌」など、その時の気分で聴き分けています。
厳密にはグレゴリオ聖歌と呼べるのは歌唱のみだそうですね。
伴奏があるものは何と言ったらいいのか?
ラテン語聖歌と呼ぶのがいいのかな?
しかし厳密にはラテン語以外のものもあるようだし・・・
まあ広義の意味でグレゴリオ聖歌でいいのかもしれませんね。

聖歌とはいえませんが「エニグマ」(グレゴリオ聖歌をアレンジしたやつ)もたまに聴きます。
ノイズの多い電車の中などでは、テンポが良くて結構イイ!!!キワもの感があり評価は分かれるとおもいますが、グレゴリオ聖歌の良さを新しい表現で世に出して再評価を得た功績は大きいと思います。

ということで聖歌もいろいろ。良さもいろいろなのですが
やはり、さだまさし調のフォークミサ聖歌だけは、どうしても苦手。聖歌という感じがしないんですよね。やはり厳かさがないからだと思います。
グレゴリオ聖歌と比べてしまうからかもしれませんが、正直、ズバリ言えば野暮ったい。
私は、我慢して唄っておりますデス・・・

「結局、昔の方が良かったじゃないか」という事ですね。。。

昨日の御ミサは、子供とささげるミサでした。
聖歌は普段使用する典礼聖歌集ではなく別の歌集でギターを使うフォークミサ。
めったに行われているわけではなく、教会に立ち返ってからは、幸いにして、いままで遭遇する事がなかったのですがついに遭遇してしまいました。
神父様も丁寧に司式されていましたがぎこちなかった。
さだまさしのコンサートのようなメロディーの聖歌。
不快なメロディーではないですが、御ミサの聖歌にふさわしくはなく厳かさは全く無いですよね。

加えて驚いたのは、共同祈願の時に頭上で手を合わせる不可解な所作があった。
新興宗教のようでこれには仰天!!! 
初めて教会に来た人が、この所作に遭遇したら、間違いなく「ひいてしまい」奇妙に思うであろう独特の所作。
違和感が強く、私は倣うことは出来ませんでした。
やらない人も少なくない・・・

「南無アッパミサ」というミサがあると噂に聞いたことがありましたがもしかしてこういう雰囲気なのではないのだろうか?

キリシタンの時代も、明治の再宣教のときも当然無く、近年になって勝手に日本で創作されたであろう不可解な所作。
なぜこのような所作をする必要があるのでしょうか?

しかしああいう変な所作でも声をあげて歌いながら丁寧にしている方もいる。
心をこめて御ミサを大事にする姿勢。
その心は否定できないのだが・・・

考案し指導したのは、当然信徒ではなく小教区で司牧にあたる神父でもないはず。
誰が考えた所作なのか知りませんが、真意を聞きたいと思いました。

しかし、心を荒立てる事なく、静かに静観できたのは、やはり先週、荘厳司教ミサに与ることができたおかげ。
規範となるミサを知り、厳かで美しい本当のミサはアレだから・・・という余裕を持てました。

荘厳司教ミサをご存知ない方はまだまだ多い。
今年はDVDが制作されますから、これからは本当のミサを多くの方に知っていただくいい機会が作れると思います。


第2バチカン公会議以降の日本の教会における様々な変更は、振り返って考えてみれば、全て「厳かさ」を排除する流れであったように思います。
「お祈りの口語化」「フォークミサ等」「跪きを止める」など全て方向性が一緒・・・

荘厳司教ミサに与らさせていただき、あらためてカトリックにおける「厳かさ」というものを考えさせられました。

しかし、その厳かな御ミサの中で、関係者でもなさそうなのにパシャパシャ写真を撮っている人もいた。「芸術鑑賞」的な好奇心は否定しませんが、普通、御ミサの最中に写真を撮るだろうか???
私のほうは「厳かさ」に飢え渇きようやく砂漠の井戸にたどり着いたような心境。感無量でしたので違和感がありました。
人それぞれだけど、荘厳司教ミサに参列する人でも意識にギャップがあります。

カステッロ大司教様は、お説教のなかで「ラテン語でも心がこもっていなければ意味がない」というお話をされました。いいお話でした。

「心をこめる」ためにどのようにしたら良いのか?
「心をこめる」ことを形にあらわすのが日本の伝統。
身だしなみ、立ち振る舞い、所作、姿勢・・・・・
緊張感を込めて、身を正して、「厳かさ」を大切にしたいと思います。

などと偉そうな事を書いてしまいましたが、ただこれは全部、自分に返ってくる話。自戒を込めてということでご容赦ください。

グーグルの検索で、いろいろなブログや掲示板での感想も見てみました。
「やはりトリエント形式でなけば・・・」という意見もちらほらありますね。
否定はしませんがトリエントの御ミサの侍者をつとめられる人が日本にどれだけいるのだろうか? 希望を持ちつつも時間が必要ですね。
私の知る限り、トリエントミサは、FSSPX以外で、教区の聖堂で行われた御ミサはこの1〜2年では2回しかない。トリエントの御ミサの侍者は非常に難しく大変ですよね。

毎週与る普通の御ミサで「厳かさ」をどのように取り戻していくか。高めていくか。そういう視点も大切だと思います。
ラテン語の御ミサが「厳かさ」の規範であることは疑う余地はないですが、今の御ミサでももう少し厳かににできないだろうか?

まずは「厳かさ」を排除する流れを逆流させることが必要。
そんなことを考えています。

やっと荘厳司教ミサに与ることができました。

カステッロ大司教様、ピタウ大司教様をはじめ、司式してくださいました全ての神父様に深く感謝申し上げます。

そして、このすばらしい御ミサを運営なさっている、カトリック・アクション同志会の皆様方、聖歌隊の皆様に重ねて御礼申し上げます。

頂戴いたしましたミサレット。非常にわかり易く、私にとって貴重なものとなりました。
大事に大事にさせていただきます。

参加するまでのドタバタでいささか疲れ果て、力尽きる寸前での出席。
「今回与ることができない方々の分までお祈りしなければ」と力んだものの、ラテン語を追いかけながらも追いつかず、自分の未熟さを痛感してしまいました。。。。。

しかし目をつぶってカテドラルに響き渡るラテン語聖歌を聞かせていただきカトリックの神髄を感じました。

深く感動いたしました。

母親を連れて行きましたが、「こんな立派な御ミサに与ることができるなんて・・・」とことのほか喜んでおりました。親孝行となって良かった・・・
しかし同時に1人で留守をさせることに不安を感じさせ始めた父親の状態に重い現実があり、私と離れて暮らす母の日頃の苦労を直視することとなり、つらいものがありました。

懇親会に出席し、以前よりお名前を教えていただいていた同志会の何人かの方々と、ぜひともお会いしたかったのですが、そんな事情もあってお先に失礼しました。

そのうち機会がありますね・・・・・

あれだけの人数、あれだけのパイプ椅子。。。かたづけるの大変だったろうなあ・・・・・
来年はお手伝いせんとね!

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