カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

2010年09月

前回はゆるい記事を書いてしまいましたが、本当は今はそういう状況ではないですね。

尖閣諸島の問題は、外国の脅威というものをまざまざと感じます。まだ予断をゆるさない状況。現在進行形ですよね。
テポドン事件とかありましたが、北朝鮮と中国では国際政治における影響力が違う。

中国が尖閣諸島を軍事占領することも空想とは言えないんじゃないでしょうか?
憲法9条の理念は立派でも、現実の国際政治では実効力がないことを痛感します。
やはり最終的に安全保障で頼れるのは枠組みとしての日米安保条約、自衛隊、沖縄の米軍の存在。

日本政府の対応も最悪でした。外交的には完敗! 
恫喝に屈したようにしか見えない・・・
筋を通さないで状況判断で右往左往してる感じがついてまわって、リーダーシップの欠如という日本の政治の問題が露呈しました。政治家としての器量のなさを痛感します。
今回の対応をリードしたのは仙石官房長官でしょうか・・・
この人本当に頼りないですね。すぐ対応を反省するくらいならもう少し良く考えてから行動して欲しいと思います。中国に対しても変に過剰な敬語を使って何か変だし、外交の場面ではこの人にしゃべらせたら駄目ですね。
前原外相はまだましだったから、もう少し我慢はするけど、民主党本当に大丈夫だろか?

しかし中国の対応、瀋陽日本領事館事件、餃子事件あたりから傲慢さが目につくようになってきた。
経済力が高まったからでしょうか?大国の驕り?「実る程頭を垂れる稲穂かな」ではないですね。
やっかいな隣人になってきたなあという実感・・・多くの日本人が持ち始めているように感じます。

毅然とした対応をしなければ、どんどんつけ入ってくる。
戦略的互恵関係といわれ経済的には非常に大切な国だけれども、長期的にはどうなんでしょうか?
労働単価も上がっていって生産拠点としての魅力は下がっていく。市場として見てもフェアな競争はできない国。レアアースうんぬんとか言われているけど、中国でしか産出されないわけはなく資源開発の意思の問題らしい。

今回のような領土的野心が明らかな事がわかってくると、油断が出来ない国、警戒が必要な国という見方になってきますね。
本当に互恵関係でいいんだろうか?
メリットよりも、様々なデメリットのほうが目立ち始めて、ゆるやかではあっても距離をおいたほうがいい国という気がしてきます。

飛ぶ鳥をおとすような中国の勢いですが、フォーブスという雑誌によると、これからは停滞の時代だそうです。
中国の大都市では豪華なマンションなどが建設ラッシュですが,実は8000万戸の空き住戸があるらしい。まさに不動産バブルの状態。そのバブル崩壊が目前だそうです。

だいたい地方には食べていくのがやっとという人達がゴマンといるのに、不動産バブルなんて不道徳じゃないのか?

そもそも共産主義で信教の自由すらない国家統制の国なのに、経済だけが剥き出しの自由主義で、一部の赤い成金がバブルに走る不自然さ!!
豊かになっても成金だから品がないですよね。

日本という国も偉そうな事を言えないところがあるけど、悪い所ばかりまねしないでほしい。

4000年の伝統がある国、儒教を生んだ国として、もっと歴史と伝統から道徳を学んでほしいですね。

今回は「結婚式はカトリック教会で・・・」ということについて。

昔は、カトリックにおける結婚式というのは、洗礼などと同じ「七つの秘跡」の一つなので、新郎新婦どちらかが信徒であることが、前提だったようです。
現在では「開かれた教会」「結婚式も福音宣教」ということもあって、信徒ではない方の結婚式も行われています。
ただ宗教施設における宗教儀式であり「七つの秘跡」のうちの一つということは変わりませんから、結婚式をされる方には「カトリック結婚講座」という講座を受講していただいています。

一般にはあまり知られていないのかもしれませんが、カトリックで結婚式をすると原則として離婚はできません。
もちろん法律的にはできますが宗教的には許されない。

松田聖子はサレジオ教会(カトリック碑文谷教会)で結婚式をあげましたが離婚してしまいました・・・

三浦カズとりさ子さんもサレジオ教会でした。
カズ&りさ子は離婚してない。
カズは好きな選手なので、さりげなく嬉しい・・・・・

ということで人生いろいろなのですが、最近ではカトリック教会で結婚式をされる方は減っているそうです。

チャペルウエディングというのが一般化し、結婚式場やホテルでは、どこでも結婚式用のチャペルがある。
面倒な講座は受けないでいいし、聖堂の雰囲気もゴージャス。

当ブログは無料プランによるものなので、勝手に広告が表示されるのですが、以前、リンクされていたラヴィーナマリエール聖ペトロニオ大聖堂http://www.daiseido.jp/?gclid=CLmRxPvFup4CFQ8wpAod6V-0oQ
は凄いです!!雰囲気はまぎれもなくカトリック風の大聖堂・・・
ただしカトリックの神父が教会外で司式することはないので牧師さん(プロテスタント)の結婚式になると思います。
カトリック風の大聖堂でプロテスタントの結婚式が行われる不思議な情景ですが、こういうことにこだわるのはクリスチャンぐらいで、そうでない方にとってはどうでもいいことなのでしょう。

私も、ホテルチャペルの結婚式に何度か参列したことがあります。雰囲気がロマンティックなだけで宗教的な感じはしない商業主義的な結婚式が多い。
やはり教会の結婚式とは違います。
人生にとっての大切な節目ですから、意味をよく考え、意義深い結婚式をあげていただきたいと思います。

そんなホテルチャペル結婚式ですが、ただ一度だけ牧師さんのお話で非常に印象に残った事がありました。

「あなたがたお二人は、今日結婚式をあげるまでに、すでに二人で充分に話し合い、結婚を誓いあっていますよね。しかし今日、普段とは異なる正装で、ご両親をはじめ多くの方の前で宗教的な儀式をもって、新たに誓うのは何故ですか?
二人だけの誓いではなく神様の前で誓い合ったということを忘れてはいけませんよ・・・」


わかり易く印象に残った話でした。

なぜ、宗教儀式で結婚式をあげるのか?
結婚式の演出に気を配るのもいいですが、ちょっと考えてみることも必要だと思いますよ!!

偏屈なおじさんの独り言でした・・・

先日、東京に用事がありましたので、思い切ってカトリック府中墓地まで足を延ばしてみました。

東京大司教区の墓地として以前からあり、土井枢機卿様、白柳枢機卿様をはじめとする教区の聖職者のお墓や修道会のお墓などがあります。もちろん一般の信徒の墓もある。

以前訪れたときは20年以上前だったような気がします。ほとんど覚えていないのですが、今回訪れてみてずいぶん木が少なくなったような感じがしました。
武蔵野とはいえ、現代ではもう住宅地のど真ん中。
墓地としての静けさを保つためには、せめて墓地の周囲は大きな木を残すなど周囲から視線や騒音を遮って静寂さを保つような配慮をしてほしかった。住宅地のすぐ横の敷地のギリギリまで墓がありますもんね。

まあ今となっては仕方がない。四の五の言わないでお墓参りをしましたが、教区司祭のお墓は、共同の大きな碑となっていてまだ新しい感じでした。亡くなられた司教様神父様のお名前が書かれていて、岩下壮一神父様ははじめの方にお名前がありました。「『カトリックの信仰』読み始めましたよ!」なんてことお話したりして・・・

すべての亡くなられた司教様神父様ために、感謝しお祈りしました。

後は、縁のある修道会のお墓参り。直接ご縁があったコンベンツアルの神父様は府中墓地ではないんですが、同じコンベンツアルのよしみでお参りさせていただいたら、ゼノさんのお墓があった!

くわしく存じ上げない修道会のお墓もいっぱいあり、とても全部はまわりきれないのですが、信仰に全てをそそいだ方々のお墓ですものね。気持ちの上では全てお参りしたい気持ちになるんですよね。

最後に、遠藤周作さん。田中千禾夫、田中澄江さんご夫妻。吉満義彦さんのお墓もお参りしようと思ったのですが、事前によく調べてこなかったからわからなかった。迂闊でした。

また訪れようと思います。

今年は大変暑い夏でしたが、ようやく秋の気配がしてきました。
夏の暑さがずいぶん昔に比べ厳しくなったためでしょうか?やはり体力を消耗します。
真夏にお葬式が増えてきたように思います。

「お葬式はカトリックで・・・」

などと突然書くと何か宣伝みたいですがそういう事ではなく葬儀の仕方についての話です。
教会に通わなくなってしまった方でも「今際の際に遺言で・・・」ということでカトリックの葬儀を望まれる方がいます。

洗礼を受けたカトリック信徒であるならば、教会でご葬儀をお引き受けする事になりますが、やはり葬儀社だけではなく信徒も奉仕でお手伝いすることになる。

ほとんど知らない方の場合でも「安らかに天国に行って下さい」とお祈りしてお送りします。

ただ私のような信仰の未熟な信徒は「生きていたときに神様の家をほったらかしにして(教会に全く来ないで)、死んでから天国に入りたいなんてむしがいいよなあ」ということも一瞬頭をよぎってしまいます。放蕩息子の兄みたいですね。
ご事情は様々でしょうし、人の信仰を推し量るなどとんでもない傲慢な事。

実は私自身、ずいぶん長い間教会に行かなくなっていた時期があったから、これはすぐ自分に返ってきます。放蕩息子の弟のときもあったわけです・・・強烈に自分の怠りを恥じる事になる。
弟だったり兄になったりああ俗っぽい。情け無い・・・・・

日常的に教会に来られる方は、信徒名簿数にはるかに満たない。
クリスマスや復活祭に来られる方でも半数までいくかどうか。
それでもお葬式だけは教会に戻ってこられるのでしょうね。
世の中、放蕩息子ばかりで、神様もさすがに困惑されるのではないか?

放蕩息子の話は、神の愛を感じる感動的な一節ですが、一方
鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は神の国にふさわしくない」ルカ9-62 とか「主人の思いを知りながら何も準備せず・・・」ルカ12-47 という一節もある。

信仰が未熟な私は、こちらのほうをしっかり胸に刻んだほうがいいみたいデス・・・・・

「カトリックの信仰」
すすっと読み進めていますなんて事を前回書きましたが、よく読み進めていくとやはり難しい・・・教養の未熟さを感じます・・・

昭和の初めだから、やはり表現が今とは少し違うし、ちょっとした言葉の理解力が低いと、そこで引っかかってしまう。

例えば「ペルソナ」という言葉があるでしょう。
なんとなく解ったような感じで読み進めていくわけですが、心理学の意味ではなく、キリスト教の「位格」という意味で読まないと駄目ですよね。
そこで「位格ってなんだっけ?」ということで検索するわけですが「ペルソナのこと」って書いてあります・・・ループです。(涙)
しかたなく「表面的な姿」っていうことで読み進めていきますがやはりわかったようなわからないような感じになる。

やはり「なんとなく」ではだめですね。
これは、立ち止まって、読み返して、格闘しながら吸収して身につけるしかない。

これでは読み終わるまでかなりかかりそうです。
読後の感想のアップは、しばらくお待ち頂けましたら幸いです。

読み終わるまで、またちょっと別の話題もアップしたいと思います。

ということでご容赦を!

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