カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

2010年07月

松岡洋右氏について書いた後、近代や現代のカトリック(日本人)でどんな人がいるのか気になりました。
wikipediaを見たら「へえ〜」の連発。

カトリックの著名人といえば、やはり遠藤周作さんの影響もあって文学者が思い浮かびやすかったんですが学者や政治家、財界人も多いですね。

政治家では、
吉田茂さん、田中耕太郎さん、麻生多賀吉さん。
麻生太郎さん、山谷えり子さん、稲田朋美さん。
与謝野馨さんはグレーですね。
自民党多いですね。
社民なんかいても不思議ではない気もしますがどうなんでしょうか?
もっとも選挙ではカトリックということは、あまり票には結びつかないから、個人の信仰でしょう。総人口の0.4%にしては以外と多いんですね。

学者も多い。国連難民高等弁務官で有名になった緒方貞子さん。
右派は渡部昇一さん、澤田昭夫さん
左派は井上ひさしさん、加藤周一さん、武者小路公秀さんのあたりかな。

財界人では小林陽太郎さん(富士ゼロックス)樋口廣太郎さん(アサヒビール)福原義春さん(資生堂)水島廣雄さん(そごう)小倉昌男さん(ヤマト運輸)もそうだったんですね。麻生多賀吉さんも財界出身の政治家。

他にも丹下健三さん(建築家)とか麻丘めぐみさんアグネスチャンさんとか・・・
もちろん三浦朱門さん曾野綾子さんご夫妻もご存知の通り。

しかしこのようにいろんな方々がカトリックなっているベースには、大正〜昭和初期の知識層に対する浸透の勢いがやはり影響していると思います。

なかでも田中耕太郎さんとか天野貞祐さんが受洗した背景には、哲学者でもあるカトリック司祭の存在が見えてきます。
名著「カトリックの信仰」を記された岩下壮一さんです。
岩下壮一神父のこと。非常に興味がわいてきました・・・・・

思わぬ人がカトリックということを知って、驚く事があります。

この方もそうです。

国際連盟脱退の外務大臣で日独伊三国同盟を推進した松岡洋右氏。

当時の国際情勢は極めて複雑だし、ここで日独伊三国同盟の是非を語るのは、私の乏しい国際政治知識では無理なのですが、一般的な近代日本史では、日独伊三国同盟というのは、世界大戦を招いた悪しき記憶とされてますよね。

人物としては有名ですが、東條元首相と共に「日本を戦争に導いた軍国主義者」のイメージでした。

その松岡洋右氏がカトリックだった・・・

もっとも正確には、カトリックへは死の直前の改宗で、それまではプロテスタントメソジスト派だったようですが、それでもクリスチャンだったというのはやはり驚きです。

人間というのはわからない・・・・・

ステレオタイプな歴史認識でレッテルを貼る軽率さを、また反省しました。

あまり、詳しくなかった日本の近代史ですが、戦争による大きな傷跡を残した時代ですから、なぜ戦争が起きたのかということをキチンと知らないといけませんね。

「駄目なものは駄目だ!」みたいな事を言う頑固親父って減りましたよね。
駄目だって言い切る自信がだんだんなくなってきてるのかな?
世の中の価値観が多様化しているからでしょうか?

しかし、誰もが問題視する最大公約数的にNGなものは、逆に厳しくなりました。
飲酒運転なんか、昔は「少しぐらいならいい」みたいないい加減なところがあったけど、今では飲酒運転なんて考えられない。

企業モラルも厳しく問われるようになりましたね。
コーポレートガバナンス、コンプライアンス、内部統制なんて用語もよくでてくるようになりました。
多様な価値観を認め合う社会は、逆にルールは厳格になるのかもしれませんね。

教会に「内部統制」は必要か???

信仰共同体なんだから、あまり窮屈なのもどうかとは思いますが
教会は価値観の規範であってほしいから「駄目なものは駄目だ!」というのは明解であってほしい。

以前、Rickさんのブログで知った聖ピオ10世教皇様の 聖楽に関する教皇自発教令(1903年)

「教会固有の音楽は、純粋な声楽であるが、オルガン伴奏は許される。特別な場合においては、適当な限度内で、又、適切な用心をもって、他の楽器を用いることが出来る。けれども、その為には、司教式典書( Caeremoniale Episcoporum) の規定に従い、必ず、教区長の許可を得なければならない。(6-15)
ピアノ、トロンボーン、太鼓、チェンバロ、鈴、及びこれに類する楽器の
ように、騒々しく、軽薄な楽器を教会で使用する事は、禁じられている。
(6-19)」
っていうのは、どうなっているんでしょうね。

効力を失ってるのでしょうか?

バチカンの見解は明解だと思いますが、日本ではどうなんだろう。

失っていないならば、いまでも時折、全国の各所で行われている
らしいバンド・ミサ的なるものは禁じられるはず。

こういうことはハッキリしなければならないと思います。

バンド・ミサに限らずとも
「いちいちバチカンにお伺いをたてなくても・・・」
などという事を発言する聖職者もいると聞いた事があります。

やっぱり「内部統制」が必要です。

皆さんの教会では信徒名簿における信徒数と御ミサに来られる人の数は一致していますか?

同じところはまずないと思います。

私の所属教会もそうです。
クリスマスや御復活の時でも、今回の参院選の投票数ぐらいなんじゃないだろうか・・・

もちろん入院中の人や寝たきりに近いご高齢者など、行きたくとも行けないケースもあるとは思いますが、若い人でなんとなく離れてしまった人も多いと思います。

この前も、教会の集まりで「この行事は青年会を中心として・・」なんて話がでたとき「なんでもかんでも青年会に期待しないでください!動く人5人もいないんですから!」という声が出た。

数少ない青年会でがんばっている若者は大変!! その気持ちよくわかります。

私はえらそうなことは言えません。休眠信徒だったから・・・
その分、今は、お詫び奉公させてもらっています(反省)

結婚する前の若い時は、いろいろ自分の事でしたいことが多いし、組織のなかでの役回りに対しては「やらされ感」をどうしても感じてしまいがちなので、ついつい逃げてしまうと思うのですが、この前、深澤真紀さんという人が日経BBのコラムでいい事を書いていた。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20081219/180778/

「どんな機械も歯車がなければ動かない。社会の正しい歯車で生きることはけっこう大変だけど必要な事。社会の歯車ではいけませんか?」という問いかけをしていて、思わず「うんうん」とうなずいてしまいました。

組織の歯車っていう事をネガティブに思わず、何かに一生懸命取り組むと、まわりがちょっと動いたり変わったりしたとき、やらされ感は消えて、世の中を少し変えたように感じる達成感や充実感がありますよね。
モラルということでも、気持ちの持ちようなんです。
たいしたことをしてないように見えても、実は組織の歯車っていうのは、世の中を動かす原動力なんだと思います。

この深澤さん。上野千鶴子女史と親しいらしいのだけど、その割には、まともな事を言ってて、人を色眼鏡で見てはいけないなとかも思ったりして・・・。
もっとも上野女史についてはコメントする気もしないですけどね。まあ、こういう話は書かんでもいいか・・・

信仰共同体である教会こそ、信徒一人一人が受け身になるのではなく、自分が教会を支える意識を持って「教会の正しい歯車」として能動的に動いたら、青年会が悲鳴を上げなくてもすむ元気のいい教会になるんでしょうね。


なんていうことを書いて終わるところだったのですが、なんとタイミングがいいことか、今日のごミサの福音書朗読では、マルタとマリアの姉妹の話だった。
この話は、とても人間くさいけど大事な話。
もてなしに一生懸命なマルタには気の毒な気もしますが「多くの事に思い悩み心を乱すな」っていうのは、活動する事が目的となってしまいがちな私たちにとっての警鐘ですね。

「教会の正しい歯車」っていうのが「活動する事が目的化したサヨクっぽい変な歯車」にならないようにしないと・・・

「教皇様のための正しい歯車」として、バチカンにまっすぐ目を向けて「多くの事に思い悩み心を乱さない」ようにしないといけませんね。

民主党は何故負けたのか?

選挙や政治ウオッチャーのプロフェッショナルな分析はおいといて、素人なりの感想を書いてみたいと思います。

私の場合は選挙は消去法。

夫婦別姓などで伝統的価値観家族観を破壊しようとする社民は論外。
一部の既得権を擁護するための政党である国民新党も論外。
批判勢力としては優秀だけど党名を変える事すらできないイデオロギー政党の共産党もNG。
公明党も特定の宗教団体がバックだからNG。

残るは自民。民主。「みんな」などの新党。
「みんな」は別として、ここまで絞り込むと政党より人ですよね。
ただ、民主党でも権力を掌握することが目的化している小沢派は絶対イヤだから、特に民主党は一人一人吟味する感じになる。

これが私の絞り込み。

結果を見てみれば、似た考えの人多かったんじゃないかな。

民主の場合、比例の候補者の人選がとても小沢的だった。
政治家としての候補者の個性が見えない人が多い。
ほとんどが組合の候補者かタレント、スポーツ選手っ感じで、みんな小沢印に見えた。
組織票と浮動票を固める戦略っていうのがミエミエで「政治の素人を集めてイエスマンで固める気だな。」っていうのがわかる。
「数が力」とか思っているグループだから危険ですよね。
「国民をなめてる」って思わせる人選だった。

自民のほうは、いい悪いは別にして候補者に政治家としての個性があったんじゃないかな。タレント候補はいたけど民主ほど露骨ではなかったような気がする。

管さんの消費税発言も問題だったけど、やはり民主党の候補者の魅力のなさ、小沢臭だった思うよ。
国民のアンチ小沢感情には根深いものがあるんじゃないかな。

えっ?柔ちゃんは当選した?
小沢さんの思惑に踊らされて投票してしまう人も確かにいるけどねえ〜

でも、政治の混乱は困ったことではあるけど、小沢派+国民新+社民の最悪の組み合わせが崩れ去ったことは本当に良かったと思うねえ。

「小沢的なもの」っていうのが政治を悪くしてる根源みたいに、オレは思うんだよね〜

あくまでも個人の感想。

床屋政談でした・・・

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