カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログ。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
・現在の日本のカトリック教会は「伝統の断絶」「偏った政治指向」があると感じています。
・特別形式ミサ(伝統様式のラテン語ミサ/トリエント・ミサ)の実施に参加しており、不定期な開催の場合は、その告知を行います。

2010年06月

すっかり遅筆になってしまった・・・
止めたわけではありません。まだまだ続けます。

ということでルネサンスの次はゴシック。

ルネサンスもいいですが、建築ではやはりゴシックのほうが好みです。

ゴシックといえば大聖堂ですが、私は少し中が暗めのほうが好きで、ステンドグラスが有名なシャルトル大聖堂には是非一度訪れてみたい。
アミアンとかストラスブールもいいみたいですね。

いままで2〜3箇所しか訪れた事がないのですが、ゴシックの大聖堂は、中に入ったときの上昇感のような雰囲気が独特で自然に宗教的な気持ちになる。「ヤッパリこれがカトリック・・・」という感じですよね。

日本で、教会に足を踏み入れたことが一回もなく、全くカトリックを知らないという人でも「カトリックというのはこれか!」という具合に、雰囲気を体感するんじゃないでしょうか? 
ヨーロッパまで行くのは大変ですが「百聞は一見に如かず」です。

私がよく知らないだけかもしれませんが、ゴシックはあまり建築家の名前がででこないですね。
ルネサンス建築は「フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の建築家はブルネルスキ」とかはっきりしてる。
対照的ですよね。
職人集団が住民の協力を貰いながらコツコツと仕上げていったようなイメージがあります。

ゴシックは、従来のロマネスク建築では聖遺物が暗くて見えにくかったため、中を明るくして見え易くするということを目的として始まったようで「見える」「見せる」ということにポイントをおいてる。
ファザードのところのおびただしい御像や聖書の物語が図示されたステンドグラスなどにもその特徴がでていますよね。
まだ印刷技術も未熟で聖書も貴重。読む機会がない。中世は文盲の人が多かったようです。
大聖堂を訪れたときに、聖職者の説教を聞きながら光り輝くステンドグラスの聖書の物語を目にとめる・・・感動が深かったと思います。

これは浅学非才な私にとっても同じ・・・・・
目で見ることで感動し信仰が深まります。

写真で、シャルトル大聖堂の「放蕩息子のたとえ話」のステンドグラスを見ましたが、丁寧に部分部分を見るとわかりやすいですね。全体を俯瞰してみたときは、本物はさぞかしきれいなんでしょうね。


ところで、現代の日本の教会では、ヨーロッパの立派な教会を「搾取の象徴」と思っておられる聖職者の方々がいるようで、そのような発言を耳にします。

美しく立派な大聖堂は「搾取の象徴」・・・・・

私の所属する教会ではそのような話はでてきませんが、そんな話を聞かされる教会もあるのだと思うと暗澹とした気持ちになります。

私には理解できない考え方で、感性が通じ合わない。
誰でも祈りを捧げられる場所が、美しく立派で何が悪いのか?

私の信仰は、「美しく立派な大聖堂→搾取の象徴」と考える方とは少し異なるようです。

日本でも明治から昭和初期までの古い教会に、きれいで立派な聖堂がありますよね。ヨーロッパにはかなわないけれども、大切にしたいと思います。

ネタ切れや忙しさもあって随分、間が空いてしまった。
ごめんなさい。
ペースをとりもどしてまたがんばろうと思います。

ネタ探しで「イラストで読む ルネサンスの巨匠たち」(河出書房新社)という本を読んでました。
とても面白かった!!!

キラ星のように現れたルネサンスの巨匠達を、人物像やエピソードを中心に紹介してあり人間くさいドラマが面白く、一気に読んだ。ほとんどマンガに近い本なので、あっという間。

ブルネルスキとギベルティ、ダビンチとミケランジェロ。確執が絶えない。ライバルがいることで切磋琢磨するんですね。

また絵画、彫刻、建築などあらゆるものをこなす多才さにも驚きます。
遠近法や筋肉のしくみの分析など、感性だけでなく科学的な思考も併せもった創造活動なので、建築もできたのでしょうね。

フラ・アンジェリコとフィリッポ・リッピの対照的すぎる人生。
全くお金に無頓着なのに作品を値切られるとキレるドナテッロも最高!
奇人変人ばかりと思えばラファエロのような優等生もいる。
天才が一堂に集まるルネサンスというのは凄い時代ですね。

この本、ヴァザーリの「芸術家列伝」という本をベースにしているのですが、このイラスト版がなかったら果たして読んだかどうか・・
著者の杉全美帆子さんのイラストは可愛らしく図説も解り易い。マンガ的俗っぽさもなくセンスの良さを感じます。
あまり美術に詳しくない人が、イタリアに旅行するときの必携の書じゃないでしょうか。

ところで、ヴァザーリは中世美術のことを「ゴシック(ゴート風)」と命名した人でもあるんですね。
「粗野で野蛮」という風に見ていたようですが、現代人の目からみればこと建築に関しては、ゴシックもルネサンスもどちらもすばらしいものに見える。
様式にはその時代の思想や空気が表現されていて、非常に興味深いですね。

そうそう(「ところで」とか「そうそう」とか多くてすいません)
ルネサンスのフィレンツェにはサヴォナローラというお坊さんがいましたよね。なんか存在の仕方が似ている人が、今の日本の大阪のあいりん地区にいますね。

西美のミュージアムショップでは、カルロ・ドルチの「悲しみの聖母」のレプリカ(レプリカって言っていいのかな?ポストカードより大きめのプリントです。)を売ってるんですが、数ある展示物の中から選出されてるのですから人気の程がうかがえます。

私も買いました。

「悲しみの聖母」は「マーテル・ドロロサ」といって、十字架上のキリストの受難を悲しむ聖母単独の絵姿の型をさすみたいですね。

このさい、しっかり飾ろうと思って画材屋さんに行って額もあつらえた。

絵なんか買う事無いから始めは会話が噛み合わないし、本物の絵でもないプリントをわざわざ額に入れるのが不可解だったみたいだけど、「ヨーロッパらしい感じをだすとしたらこのあたり」とか言ってけっこういろいろ取り出してくれた。
「せっかくだからボードは楕円に切りましょうか」「楕円に切るのは難しいんじゃないの」「5mmぐらいは被せがいるね」「もうちょっとギリギリまで被せを減らしてよ」とか、そんな会話が楽しい。

悲しみの聖母2というわけで、こんな感じになりました。

西美の雰囲気。少し再現できました。
西美のフレームはもっと凸凹していてゴージャスな感じなんだけど、こちらはプリントなので少し控えめにしました。
でも適当にフォトフレームなんかに入れなくてよかった。


すぐ横はゴチャゴチャして俗の極みだけど
絵の回りだけはビシッと決まって聖なる空気が漂って来る感じ・・・

シドッチ神父が命をかけて運んだ「親指の聖母」を受け継いだような不思議な感覚がします。このマリア様を前にして、アヴェマリアを唱える日々が始まりました。

カルロ・ドルチの「悲しみの聖母」。

かなりの存在感でした。
ラピスラズリのブルーが非常に鮮やかで、青がパッと目に入る。バックの光とのコントラストもあってとても強い印象を受けました。
http://www.nmwa.go.jp/jp/collection/1998-0002.html

教会ではなく美術館なのですが、カトリックである私にとっては「鑑賞」の対象として接するわけにはいかず、まず心の中でアヴェマリアを唱えてから「拝観」する。

まず先に国立博物館のミュージアムショップで、国立博物館にある「親指の聖母」のポストカードを買いましたので、見比べることができたのが良かった!

実によく似ていて違いは手のところだけ。瓜二つともいっていい。
ただ「親指の聖母」は歴史資料としての扱いなので、修復はせず損傷のままの状態で保存しているようです。
博物館と美術館の違いですね。
(今回は、かなり話が錯綜してややこしいですね。すみません。)

シドッチ神父が「親指の聖母」を日本に持ち込んだときは、おそらく、この「悲しみの聖母」の美しさの状態だったと思う。
この鮮やかさは、当時の日本人にとっては、私たち以上に強烈な印象を与えたと思います。

「悲しみの聖母」を観ていると「親指の聖母」が心の中で二重に重なり浮かび上がってきます・・・
悲しみの聖母親指の聖母













シドッチ神父の来日は、島原の乱から50年が経過し、激烈な禁教下のなかでキリシタンは存在しないと判断されている状態。
潜伏キリシタン(かくれキリシタン)と接触することを目的としながらもかなわず、捕らえられ亡くなりますが、その死はキリシタンの時代から現代へ歴史をつなぐための殉教となりました。
「親指の聖母」が、その証として現代に残っている・・・深い大きい感動があります。
国立西洋美術館の「悲しみの聖母」を観ながら国立博物館の「親指の聖母」を透視するような今回の不思議な拝観。

でもやはり「親指の聖母」の現物も観たい。
国立博物館さん。「親指の聖母」特別展示をぜひまたお願いします。


ところで他の西美の展示。
今回は、なにはともあれ、カルロ・ドルチの「悲しみの聖母」!!でしたが、様々なイエズス様、マリア様、諸聖人がおられますね。
絵を見た感動から、諸聖人の話に興味を持つのもいいなと思いました。

ディルク・バウツの「悲しみの聖母」も印象に残りました。泣きはらして目も腫れた姿が痛々しい。
http://collection.nmwa.go.jp/artizeweb/search_7_detail.do

新館の展示はパスして帰途につきました。
「松方コレクションを観ないで西美を後にするとはけしからん!」とお叱りを受けそうですが現代人は時間がないんだよね・・・

また訪れたいと思います。毎週でも来たい。
いいですね東京の人は!!

「親指の聖母」いろんな事が次々にわかってきました!
(Wikipediaに感謝!!)

なかでも驚いたのが「悲しみの聖母」という非常に良く似た絵が、同じ東京上野の国立西洋美術館にあるという事!!
「西美のマリア様」ですね。

作者はカルロ・ドルチ 17世紀フィレンツェの宗教画家。
この「悲しみの聖母」は「親指の聖母」にホントによく似ていて、手の部分が違うだけにしか見えない。
「親指の聖母」も同じカルロ・ドルチ作なのか、模写なのか・・・

偶然なんですが東京に所用ができましたので、何かに引き寄せられるように上野に立ち寄ってみました。本当に駆け足の時間しかないけど見たい絵を見るだけならば充分。

国立博物館の「親指の聖母」のほうは現在展示が無いということはわかっていたのですが、それでも寄ってみる。やっぱりない・・・
しかたないですね。お会いできるのは持ち越しとなりました。

そして今度は、カルロ・ドルチの「悲しみの聖母」のほうにお会いするために国立西洋美術館のほうへ向う。
入口のところに、ロダンの「地獄の門」がそびえ立つ。有名な「考える人」はこの彫刻の一部。ゴテゴテした彫像で飾られ黒く光るこの門の形の彫刻、心臓の鼓動が早くなるような迫力があります。
聖なる美しい絵にお会いする前に、この彫刻を見れたのは対比的にも良かった。

西美に来たのは何年ぶりか?前来た時を思い出せない。
押し合いへし合いで見るのはイヤで、どんな名画が来ても混みそうな美術館の特別展にはめったに来なかった。
その点ゆったり見れる常設展はいいですね。

西美の常設展は14〜16世紀の宗教絵画から始まっていましたので、「悲しみの聖母」までは宗教画をたどっていけるなと直感で感じた。

途中まで行くと、とても濃いブルーがちらっと目に入った!
神様のお導きです。ありました・・・・・
そこから先はもう他の絵は目に入らない・・・・・

つづく

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