「日曜日に教会に来ている時だけが信徒なのではなく・・・」というメッセージが、よく高位聖職者の方のお話にでてきます。
耳にいたい話です。
信徒といえども職業人。いろんな仕事をされている方がいるはずですが皆さんはいかがでしょうか?
医師や看護士などの生命を守る仕事や、農業とか漁業とかの自然相手の仕事では、宗教が頭をかすめることがありそうですね。
介護や福祉、教育、警察消防、もそうかな?
ひと相手の仕事ということでは、もしかするとバーのマスターとかも・・・
でも私の仕事のような普通のビジネスの世界では、せいぜい「誠実である事」というぐらいかなあ・・・
宗教が頭をよぎるほどドラマティックではなく、信徒であることを意識しないですんでいるのでしょうね。
それでも、聖書の一節一節が頭の中にきちんと入っていると、日常の仕事の場でも、その一節が思い浮かんだりするのかもしれないから、もう少し聖書を読まなければと思います。
聖書は難しく「なぜ?」のままで止まっているところも多いから、そういう箇所の謎解きをしていかないといけませんね。
現時点のわたしにとっては、俗なる時間から離れて、聖なるごミサに与ることが、ささやかな刺激・・・
フィーリング信徒ですいませ〜ん。
耳にいたい話です。
信徒といえども職業人。いろんな仕事をされている方がいるはずですが皆さんはいかがでしょうか?
医師や看護士などの生命を守る仕事や、農業とか漁業とかの自然相手の仕事では、宗教が頭をかすめることがありそうですね。
介護や福祉、教育、警察消防、もそうかな?
ひと相手の仕事ということでは、もしかするとバーのマスターとかも・・・
でも私の仕事のような普通のビジネスの世界では、せいぜい「誠実である事」というぐらいかなあ・・・
宗教が頭をよぎるほどドラマティックではなく、信徒であることを意識しないですんでいるのでしょうね。
それでも、聖書の一節一節が頭の中にきちんと入っていると、日常の仕事の場でも、その一節が思い浮かんだりするのかもしれないから、もう少し聖書を読まなければと思います。
聖書は難しく「なぜ?」のままで止まっているところも多いから、そういう箇所の謎解きをしていかないといけませんね。
現時点のわたしにとっては、俗なる時間から離れて、聖なるごミサに与ることが、ささやかな刺激・・・
フィーリング信徒ですいませ〜ん。