カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
・現在の日本のカトリック教会は「伝統の断絶」「偏った政治指向」があると感じています。
・特別形式ミサ(伝統様式のラテン語ミサ/トリエント・ミサ)の実施に参加しており、不定期な開催の場合は、その告知を行います。

2010年01月

風邪治りました。
ご心配おかけしてすみませんでした。
そして、お気遣いいただき大変ありがとうございました。
とてもうれしかったです。
気分を一新して再開します。
またよろしくお願いします

病み上がりなので、ちょっと軽めの話。

明治村のHPにのっていたのですが、聖ザビエル天主堂で、昨年末の12月23日にクリスマスミサがあったらしいです。ノーマークでした。

クリスマスミサって書いてありましたから、カトリックのミサだと思います。近くの小教区の行事として行われたのでしょうか?
小教区の教会があっても、伝統様式の聖堂で荘厳なミサに与りたいという声があったのか?

明治村から呼びかけがあったとは思いにくいですよね。
どんなミサだったのだろう。もしかして天使ミサ?
気になるなあ〜〜〜
カトリック教会も、各地でいろんなことがあるんですね。

いずれにしても聖ザビエル天主堂がカトリックの聖堂として使われたのは、大変喜ばしいことです。
来年もあるのなら行ってみようかな?

あっ、でも明治村に入るとき入場料がいるのか・・・・
御ミサに与るために入場料がいる。なんか変だなあ。。。

まあいいか、明治村と共存共栄ですね。



「貧困ビジネス」という言葉があるそうです。
夕方のニュースの特集でやっていたらしい。

路上生活の人に声をかけ「アパートに入りませんか?」と声をかける。
生活保護の受給の仕方を指南する。
家賃とサポート料ということで、生活保護のほとんどをいただき、路上生活の人には2万円ほどの現金が残る。

行政の目のいきとどかないところで、路上生活の人に対し最低限の住環境を提供するという福祉としてのメリットがあるそうです。
このような業者さんは、ホームレス支援団体ということで活動されているらしい。

確かに、人権とか福祉とかいう観点では問題はないのかもしれません。

ただこの話を聞いて、私にとってはなんとなくすっきりしないものを感じました。「いただけるものはいただこう」という人ばかりになったら日本はどうなるのだろう。

皆の為に一汗かこう!という人がどんどん少なくなってしまう日本は、いままでの日本とは別の国になってしまうのでしょうね。

正直なところ、何かひっかかってしまう話でした。


口語の祈り、文語の祈り、ラテン語の祈り
あなたは、どのお祈りをされていますか?

カトリック信徒ではない方には、少しわかりにくいですね。
お祈りの仕方が3種類もあることを奇妙に思われるかもしれません。

ボンクリの私は、子供のころ文語でした。「てんにまします・・・」も「めでたしせいちょう・・・」自然に口が動きます。体に染み付いています。1人のときは誰が何と言おうと死ぬまで主祷文と天使祝詞は文語で唱えます。決して文語の祈りは離しません。

実は私は、口語の「恵みあふれる聖マリア、主はあなたとともに・・・」は暗唱できません。見ながらじゃないとダメです。なんかしっくりきません。
新しく信徒になられた方は、全て口語ですよね。
新しい信徒の方は口語じゃないとしっくりこないでしょうね。

信徒によって唱える祈りが違う。これは、どちらにとっても結構むごいことなんじゃないでしょうか?

なんで変えてしまったのですか。変えられた方はどなたなのでしょうか?

あと何十年か後、私が死ぬまで唱え続けても、この文語の祈りは消滅してしまうのだろうか?文語の方が格調高いのに・・・

ところで最後のラテン語の祈りですが、バチカンによると「ラテン語の祈りが基本で、現地語は副とされてる」ということを知りました。
これはインパクトありました。
ラテン語の祈りは、絶対無くならないわけです。

キリシタンも唱えていました。
ラテン語こそが、時空を超えて普遍的ということがわかります。


こういう事を書くと「キリストはラテン語では話さなかった」って屁理屈言う人がいるんだよなあ〜

きんつばじへい
福者 トマス金鍔次兵衛神父はキリシタン時代の実在の人物で、
江戸に潜伏し将軍家光の小姓に洗礼を授けたという逸話を残しています。
穴吊るしによる壮絶な殉教を遂げて天に召されました。

1昨年列福された福者の1人です。


今回、投稿する「きんつばじへい」は民話の主人公。実在の金鍔次兵衛がモデルですので、この民話の「きんつばじへい」もキリシタンです。

マリア様をとても大切にしていて、夢のなかでのお告げを受け、刀を抜く事をやめたらなんと・・・・・

何か読みたくなるでしょう。
とてもいい絵本です。

カトリック教会が監修したようではなく、「うらしまたろう」や「かもとりごんべえ」などといっしょに日本の民話として絵本のシリーズになっています。ポプラ社です。

変な事をしなくても、少しづつキリシタンの話が土着化しています。

うちの子に読まそうとして買ったのだけど
親父の私が気に入ってしまいました。

「きんつばじへい」のお話でした。








家内安全、無病息災、学業成就などなど、初詣をする人の思いはそれぞれだと思いますが、願いをこめて手を合わせる気持ちはわからないことはありません。

昨年の年末、電車の中で「せがれが受験なんだけどどこに初詣しようか思案中。上の子は○○神社にお参りしたのだけど志望校あかんかった。今度は別のとこにしようと思って・・・」なんて会話も耳に飛び込んできて、日本はやおおろずの神々の国なんだなあとあらためて感じました。

私はカトリック信徒ですが、やはりお正月となると神社仏閣を訪ねたくなるもの。はたしてカトリックではなかったらどこにお参りするのか?

関西だったら楠木正成を祀っている湊川神社。
鹿児島だったら、おそらく南州神社。
靖国神社、護国神社の可能性も高い。日本のために亡くなっている人が祀られているから。

なんて事を家族に話すと、「ふつうは祭神が何かなんてことはそんなに意識しないけど。家に近いとかご利益があったとかでお参りするんじゃないの」という返事・・・・

年末にmaggieさんのブログに吉祥寺五右衛門さんが、「多神教は、自分に神様を合わせる」と書かれていましたが、この感覚はそのとうりですね。

そう考えると、湊川神社や南州神社、靖国神社護国神社とかにこだわるのは墓参りに近い感覚かも。
ふつうの初詣の感覚とは少し違うのかもしれませんね。

「志賀親次は少年のころに教会に行くことを阻止されたときに、腕に十字の印を切り刻んだ・・・・」
私はこの激しい話が好きで、どこでもいいんだったらいかん方がましと思ってしまうんですよね。

ということでやっぱり私は教会にお参りさせていただきます・・・・







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