カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

2009年11月

「ボーヴェー大聖堂。鉄筋のない時代に石組みだけで48mまでの天井高まで到達。パリのノートルダムの1.5倍の高さ。12階建てのビルがすっぽり入る。」と先日の「ゴシックの大聖堂 その1」の投稿で書きましたが、このボーヴェー大聖堂にはいろいろと逸話があるようです。

1247年に工事が始まり空前の高さの48mで完成したものの支持構造の強度不足で12年後にヴォールド天井が大崩落!(怖い!)

支柱の数を倍に増やして1323年の内陣が再建。しかし百年戦争で中断。
1500年に再開。1569年に交差部に153mの高さの塔が完成。しかし今度はこの塔が傾斜し始める。専門家を交えて対策協議をしているさなかに大音響とともに倒壊!(怖い!)

ゴシック建築の限界とされているそうですが、300年かけて限界を極めるところまでやるところが凄い!

画像を見ただけですが、強度を保つ為か外観はまるで要塞?
少しゴツゴツしすぎてるようにも感じますが、内陣はさすがにその高さが荘厳さを感じさせます。その場にいたら天に引き上げられるような感じがするのではないでしょうか?

余談ですが、聖ジャンヌダルクをイギリス軍に引渡し、異端裁判の判事をしたピエールコーション司教はボーヴェーの司教だったように記憶してます。この大聖堂の司教だったのですね・・・

(※ボーヴェー大聖堂の逸話については河出書房の「図説 大聖堂物語」から一部引用)




カトリック教会らしい教会(建造物)をイメージするとき、みなさんはどんな教会をイメージされるでしょうか?

ひとそれぞれとはいうものの、ゴシック様式の教会をイメージされる方は多いのではないでしょうか?
リブヴォールト(こうもり天井)のイメージ、印象強いですよね。

初めてヨーロッパに行って、ミラノのドーモを見たときは本当に驚いて深く感動しました。私の場合、そのときの衝撃が強くてゴシック様式がカトリック教会らしさの物差しになっています。

しかし非常にゴテゴテしてますから、悪く言う人もいて「ゴシック」という言葉自体が15〜16世紀あたりからの蔑称らしいです。

ところが驚いたのはゴテゴテしている部位も建築的に理にかなったところが多く、装飾のための装飾ではないみたいなんです。
ゴシックは部位の専門用語がよくでてきますが、それぞれに一理有るようです。

1.力学的には壁で支えているのだけど、採光を重視するために壁を薄くする必要があり柱がとび出てくる。

2.「リブヴォールト」(こうもり天井)は重力を横に逃がすための形状。

3.「フライングバットレス」(外側からアーチを支える柱)は外壁が横に広がろうとする力を外側から押さえ込む。

4.外側に飛び出た雨樋「ガーゴイル」(動物の形が多い)は雨水が外壁やガラスにかからないようにして、少しでも損傷を抑える。

5.「ステンドグラス」も採光のためだけでなく、
暗い聖堂で明るく光って見やすい聖書絵巻の役割を果たす。

極めて機能的なんです。
そして機能にもとづいた特徴的な形状を、装飾によって際立たせゴシック教会らしさを形作っています。
まさに機能する芸術です。

高さを競い、ボーヴェー大聖堂は、鉄筋のない時代に石組みだけで48mまでの天井高まで到達しました。パリのノートルダムの1.5倍の高さです。12階建てのビルがすっぽり入ります。

科学のない時代に構造解析した訳でもなく、経験則で職人が築き上げた。奴隷労働でつくられたわけでもない。
これほどのものを創るエネルギーはいったい何なのか?

美しさを感じるとき「削ぎ落とされたシンプルな美しさ」と「複雑で緻密な美しさ」のそれぞれ対極があるけれども、ゴシックは後者の代表ですね。








このシリーズ、名称が「日本100名聖堂」だったのですが、
「何で100名定員の聖堂を選出するの?」という誤解を招いていることがわかりましたので名称を変更します。「日本100名山」はおかしくないのですが、ちょっとしたことで誤解を招き易くなりますね。

選考基準も伝統的な様式の聖堂に絞ろうと思います。
新しい様式の聖堂は増やしていけますが、伝統様式の聖堂は、壊したら再現困難です。文化財を守るまじめな視点で選出していこうと思います。

ということでシリーズ改名「日本の名聖堂100選」その3です。
「日本の名聖堂100選」は伝統様式の聖堂にすることにして
「光の教会」は番外に変更。大浦天主堂が繰り上がって その3です)


大浦天主堂。 国宝なので選出文句なしですね。

ただ、建造物としての立派さだけではなく、この聖堂は「わたしのむねはあなたとおなじ。サンタマリアの御像はどこ?」という言葉と共に、別れ別れになっていたと日本のキリシタンとカトリック教会が再会した歴史的な文化遺産でもあります。

激烈な迫害と踏絵の苦悩のなかで信仰を守り抜いたキリシタンたちが聖母マリアに出会ったときの感動と、信徒を見つけたプティジャン神父の感動を思うと涙がでそうになります。

ただ難点は、観光名所になっているため騒々しいのが残念です。
贅沢な悩みですが・・・・・

一度ミサに与ってみたい聖堂です。


カトリック信徒のなかには、不遇な境遇にある人を捜し出し、その不幸を社会問題にすり替えて告発する人がいて、いろいろな集会をひらいたりしていますが、私は共感できない。
なんか感じ方がちがうというか感性が違うというか・・・
こういう人たちはフランダースの犬を読んでも「ネロ君の悲劇をくりかえすな!」というような告発スタンスになるのでしょうね。

ところでフランダースの犬の話は、現地のベルギー人よりも日本人の方が好きらしいです。
日本人の琴線にふれる何かがあるのではないか。
日本人の琴線にふれる事。これがキリスト教の土着化。
(太鼓や三味線でミサやって形だけ和風にしても意味なし→まだこだわってる私・・)

ネロが旅立った場所である「教会」というところ。
そこは誰にでも開かれていて、美しさに天の国を感じられる場所であること。
それが私がもとめる教会なのでしょう。

やはりフランダースの犬は名作です。。。
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追記

ハンドルネームカタカナに変更しました。

もう少し肩の力を抜くというか、構えずに素直な自分が出せるようにしていきたいと思います。


フランダースの犬の話は、皆さんご存知ですよね。日本人が大好きな話のひとつです。
もっとも話の最後の部分は悲しすぎて、アメリカで映画が作られたときはハッピーエンドに変えられたそうです。

ネロ少年。最後まで困窮し苦労し続けて、大金を拾っても不義をせず、悲惨とも思える死を迎えます。
以前テレビアニメ化されたときも大好評で視聴率も大変高かったそうです。最終回を前にして「ネロとパトラッシュを死なせないで!」という投書が殺到したそうですがしかし命を引き取る終焉でした。
ただラストシーンでは7人の天使を登場させ、天に昇天する姿で終えました。
神様のもとへ旅立つシーンでなければ救いがなさすぎたからでしょう。
ラストシーンはスポンサーであるカルピス社社長の土倉富士夫氏の意向があったそうです。氏はクリスチャンでした。

ただこの悲惨ともいえる最後の箇所にこそ、この話の真骨頂があります。

引き離すことができない程にパトラッシュを強く抱きしめたままのネロの最後は、まだ温かさの残るパトラッシュのぬくもりにキリストを感じつつ、あこがれのリューベンスの美しい絵に天の国を見て、旅立った・・・(いかん、泣けてきた・・・)
※[キリスト教でない人は「キリスト」のところを「つつみこまれるようなやさしさ」というような言葉に置き換えて読んでもらっても結構です。]

この話はキリスト教を強く感じさせるところがあって不幸の連打は旧約聖書のヨブ記のようだし、ネロの死はキリストの受難を想起させます。

この世の幸せとは別の天国の幸せがある。「そんな宗教的な話ばかりして!」と言われそうですが、この話は宗教がなければ救いがないんです。
※[キリスト教でない人は天国のところを「あの世」というような言葉に置き換えて読んでもらっても結構です。]

(つづく)

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