カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログ。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
・現在の日本のカトリック教会は「伝統の断絶」「偏った政治指向」があると感じています。
・特別形式ミサ(伝統様式のラテン語ミサ/トリエント・ミサ)の実施に参加しており、不定期な開催の場合は、その告知を行います。

2009年08月

威勢のいい掛声とともに日向攻めの総大将となった田原紹忍だが、薩摩と雌雄を決する耳川の戦いにおいて、序盤で形勢が不利と見るや一目散に敗走している。

この田原紹忍には跡継ぎがなく京都の柳原家という公家より養子を迎えているのだが、この養子である田原親虎は容貌がいいうえに立ち振る舞いもよく、和歌や書道、茶、武術、乗馬が巧みでなかなかの人物だったらしい。頭の回転も早く聡明だった。この親虎がキリシタンに惹かれた。
「キリシタンになりとうございまする」と紹忍に話したとたん、幽閉するなどあの手この手で妨害が始まるのだが、どうしてもあきらめさせることができなくなったとき、紹忍は勘当し親子の縁を切っている。

田原紹忍が日向より敗走する際には、この田原親虎が守り助けた。ひどい仕打ちを受け恩を感じるほどの事はなかったと思うのだが、田原親虎はこのとき重傷を負ってしまい、まもなく息をひきとったという。

田原紹忍は豊後に帰るやいなや、己の敗戦責任を転嫁するため「戦に負けたのは、お屋形様が邪教にたぶらかされ、神仏をないがしろにしたためだ」との反キリシタンキャンペーンを開始する。
このキャンペーンは効を奏し、家督を譲られていた大友義統が棄教してしまい、豊後宣教は大きく挫折した。ドンパウロ志賀親次が存在感を示し始めるのは、もう少し後である。

田原紹忍は意外にしぶとく、大友家が豊後改易となった後も中川秀成に召し抱えられるなど、うまく立ち回っている。

しかし最終的な歴史の評価は狡猾な男として、彼に厳しい。








add5c613.jpg前回の投稿で不正確なところがありましたので訂正します。「安土の教育委員会が嘆願書」ではなく、「安土町長がローマ教皇に謁見し嘆願」でした。

1〜2年前ではなく2005年ですからもう4年前になります。

ローマ教皇も快諾され探索が行われているはずなのに、いまだに安土城屏風絵図が見つかったという話を聞きません。

いったいどこにいったのでしょうか?見つかるのが怖い気もしますが・・・

ムシムシした日が続きますね。
夏にちなんで涼しくなるお話をひとつ。
すみません大友宗麟、志賀親次、無鹿は、今回はお休みです。

「幻の舟」というのは、ミステリー作家で高名な阿刀田高さんのミステリー小説(というか幻想小説)です。

この小説では織田信長が狩野永徳に描かせた「安土城屏風絵図」がストーリー展開で重要な位置を占め狂言回しとなるのですが、実はこの安土城屏風絵図は現在は存在していません。
織田信長がローマ教皇に献上するようにと宣教師バァリヤーノに手渡したものなのですが、イタリアに渡ったのちは、残念ながら行方がわからなくなっています。
1〜2年前だったか、滋賀県安土の教育委員会がローマ教皇庁に捜索の嘆願書をだしたという話が新聞に載ったこともありました。

城の資料があまり残っていない安土城ですが、しかしこの安土城屏風絵図は極めて克明に描かれており、かつ狩野永徳の一番油がのっていた時期の絵として、なんともいえない美しさ、絵力があったもようです。

「たぐいまれな名画には、妖しい力が潜んでいる」
「幻の舟」では、この絵を見た人が次々に・・・・になります。(ネタばれ防止)

阿刀田高さんの怖い話は好きでかなり読みましたが、もしかしたらこれは最高傑作かもしれない。
本当にかなり怖いです。
美しいものに潜む妖しげな力・・・。 どうしても見たい。でも見たら・・・・

挿絵として、16世紀末の画家ウィングが、安土城屏風絵図の一部を模写して版画にした絵というものがでてくるのですが、お城らしき変な建物と3人の男が小さい舟に乗っているだけ。
この挿絵が変に下手でバランスが崩れていてこの崩れ方がまた怖い。
なんてことののない普通の下手な挿絵が、文章で、ものすごく怖くなるのは、まさに阿刀田マジック!

怪奇小説ではありません。幻想小説です。
美しい物に潜む妖しい力というものをたっぷり怖がってください。
角川文庫であったのですが、残念ながら絶版です。Amazonで探してみてください。

なかなか手に入りにくいところが、はやくも妖しい・・・・

大友宗麟が、宣教師のもとに訪れたときに聞いたムジカ(音楽)はどんな曲だったのか?
私は音楽の教養ゼロで、全く知らないのですが、宗麟は美しい音楽に聞き惚れて無鹿の建設を思い立ったぐらいですから強く印象に残ったのだと思います。
グレゴリオ聖歌だろうか?
詳しい方、お教えいただけたら幸いです。

宗教が求めるものと、美しさというものは切ってもきれないと私は思うのですが、必ずしも共感いただける方ばかりではないようで、現代のカトリックのミサにおいても、2000年の歴史が築きあげたカトリックのイメージとは、かなりちがう聖歌を歌うことがあります。

俗にフォークミサなどと言われています。好き嫌いでいえば、私はこれが苦手で、以前エレキギターを持ち出されて来た時は、教会にいくことがとことん嫌になりました。

他宗教でも、伊勢神宮などは実に美しい。
よく「内面が磨かれれば姿も美しい」などと言われる事がありますが「外面の美しさなどどうでもいい」と言っているような感じがしてあまりいい感じがしません。

日本の布教黎明期のキリスト教は、音曲といい、ミサの所作といい、美しさが際立っていたようです。


本編に戻って大友宗麟 その2。

「この田原紹忍が総大将となって島津と戦おうてみせます」日向侵攻を前にした軍議の場で紹忍の声が響き渡った・・・・

田原紹忍(親賢)とは宗麟の正室 矢乃の方 の兄で、大友家の重臣である。
しかし矢乃の方が宗麟に離別されてからは、正室の兄という立場での影響力低下が否めなかった。
他の家臣の間では、自らの立場を補うためのスタンドプレーという見方が多くしらけた軍議となる。

田原紹忍は反キリシタンの中心的人物でもあり、キリシタン側においても極めて評判が良くなかった。

このような反キリシタンの人物を総大将に、キリシタンの理想郷「無鹿」建設の夢を託した日向侵攻を行う皮肉な人選だが、夢の話とは別に島津との覇権争いは現実の問題である。

当時の日向は南が伊東氏、北は土持氏の領地。
伊東義祐が島津に追われ大友に救援を求めたことが、この日向攻めの発端であり、島津に内通した土持氏は敵となった。

反キリシタンの家臣の影響力が強い豊後では、問題となる寺社の焼き討ちも敵の領地であるゆえに躊躇はなかった。

「仏の罰がくだりませんか・・・」
「仏に罰を与える力があるかよく見るがいい。何も起きなければそれまでのことだ」

もっとも仏教徒の家臣の動揺は大きかった。
後に島津との一大合戦である耳川の戦いでは大敗を喫する。
仏の罰が下ったのか・・・

大敗によって豊後の国運は大きく傾き、一時的にはキリシタンに対しての風当たりが強まっていく。

しかし宗麟のキリシタン信仰は揺るがなかった。
そして新たに、若く力強いキリシタンが台頭する。 
ドン・パウロ志賀親次である。


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