大友宗麟といえば、高山右近同様にキリシタン武将としては代表格とされる人物であろう。
しかしながら大友宗麟は、その正室が神官の娘であったため夫婦間での宗教的相克に生涯苦しんだ。正室の実家が大友家臣団の有力者で家老であるということもあって、その対立の構図が親子関係主従関係においても波及し常に心が休まる事がなかった。
長男吉統(義統)との関係も、宗教において複雑な対立競争関係のような感情のもつれがあり、前述したが吉統(義統)は深くキリシタンを信心したかと思うと家臣の圧力を受けすぐ棄教するなど立ち位置が定まらない。
さらにややこしいことに次男親家はキリシタンになるも、その真意は兄に対する対抗心であり、荒々しく激しい性格ゆえに神社仏閣を焼き払うなど次々に問題を引き起こす。
宗麟のキリシタンに対する興味も「せまい豊後だけを見てどうする。世の流れや世界に目を向けよ」という開明の心があったのだが、家臣のなかでは、親家のトラブルを見て「キリシタンは災いの種」と思うものが少なくなかった。
大友家は歴史ある九州の名門ではあったが、同紋衆などという家臣団の力が強く、独裁的な立場ではなかったため、反キリシタン派(保守派、ベテラン)対 キリシタン派(開明派、若者)という明治維新のときのような対立の構図が、常に不安定さを生む。
宗麟のキリシタンに対する信仰の置き所が、(例えば無鹿など)どこか現実世界を離れ、理想を追いかけるようなところがあるのは、現実世界での悩みから離れられなかったためであろう。
高山右近の場合は、父の高山飛騨守の指導力もあって一族郎党がキリシタンという環境にあり、家族や家臣との間での宗教的な悩みはなかった。
高山右近が現実世界のなかでその信仰を純化させていったのとは対照的である。
けっこう話が長くなってしまった。
無鹿の話まで書けなかった・・・・
もう少し引っ張って次回につづく。
しかしながら大友宗麟は、その正室が神官の娘であったため夫婦間での宗教的相克に生涯苦しんだ。正室の実家が大友家臣団の有力者で家老であるということもあって、その対立の構図が親子関係主従関係においても波及し常に心が休まる事がなかった。
長男吉統(義統)との関係も、宗教において複雑な対立競争関係のような感情のもつれがあり、前述したが吉統(義統)は深くキリシタンを信心したかと思うと家臣の圧力を受けすぐ棄教するなど立ち位置が定まらない。
さらにややこしいことに次男親家はキリシタンになるも、その真意は兄に対する対抗心であり、荒々しく激しい性格ゆえに神社仏閣を焼き払うなど次々に問題を引き起こす。
宗麟のキリシタンに対する興味も「せまい豊後だけを見てどうする。世の流れや世界に目を向けよ」という開明の心があったのだが、家臣のなかでは、親家のトラブルを見て「キリシタンは災いの種」と思うものが少なくなかった。
大友家は歴史ある九州の名門ではあったが、同紋衆などという家臣団の力が強く、独裁的な立場ではなかったため、反キリシタン派(保守派、ベテラン)対 キリシタン派(開明派、若者)という明治維新のときのような対立の構図が、常に不安定さを生む。
宗麟のキリシタンに対する信仰の置き所が、(例えば無鹿など)どこか現実世界を離れ、理想を追いかけるようなところがあるのは、現実世界での悩みから離れられなかったためであろう。
高山右近の場合は、父の高山飛騨守の指導力もあって一族郎党がキリシタンという環境にあり、家族や家臣との間での宗教的な悩みはなかった。
高山右近が現実世界のなかでその信仰を純化させていったのとは対照的である。
けっこう話が長くなってしまった。
無鹿の話まで書けなかった・・・・
もう少し引っ張って次回につづく。