桑姫社という祠があるらしい。
http://nagasaki-r.seesaa.net/category/5389381-3.html

先述の浦上淵村の庄屋 志賀家が関係する。

桑姫社は豊後(大分県)のキリシタン大名・大友宗麟(そうりん)の子義統の娘阿西(おにし)・マキゼンシャを祀ったもの、マキゼンシャは、大友家の没落(天正15年・1587)後、重臣志賀大内蔵親成はのがれ長崎に亡命、この地淵村に隠れ住んだ。のち、姫を尾崎屋敷に迎えた。

とされている。

宗麟の娘、マセンシアのことが頭をよぎったが、マセンシアではなく義統の娘。阿西御前とも呼ばれていたらしい。

志賀大内蔵親成のほうはよくわからない。
ひょっとしたら親次本人ではないのだろうか・・・

志賀親次の残像が長崎に残っているとしたら、非常に感慨深い。