ブログも、次々に新しい情報が入るものだから、当初思い描いた展開どうりになかなか進まず、寄り道したり、立ち止まったり。

今回も寄り道。「らしさ」について。

価値観が多様化するなか1人1人の多様性を認めようという時代の流れなのだけれども、反面、集合体としての「らしさ」があるということも、私は大事な事のように感じている。

「男らしく」「女らしく」「大人らしく」「日本人らしく」「社会人らしく」「九州の人らしく」「○○会社の人らしく」「○○家の人らしく」などなど、いろいろあるわけだけれども
過去から受継がれているイメージというものがプラスのイメージを持つ場合は「らしく」見えることは安心感、安定感、信頼感につながっている。

そして、社会においては1人では存在しえないから、「自分らしさ」というものも集合体の一員としての「らしさ」と密接に関わりがあり、その事は、その一員としての「誇り」や「帰属意識」「モラル」にも大きく影響している。

この集合体の「らしさ」が変化し、ゆらいでいくとややこしい。
決して変化することを否定するわけではないが、変化の仕方というものが過去からの継続性というもの寸断して変わってしまうと、イメージが拡散して「らしさ」を失ってしまう。「帰属意識」や「モラル」を失う原因となる。宗教のようなメンタルなものは殊更であろう。

「カトリックらしさ」とは何であろう?
私の中でのイメージはあるが、私とは異なり伝統とはかけ離れた新しいイメージをつくろうとする人が教会に少なからずおり、現在のカトリック教会は「らしさ」が崩れている。

ローマを中心に2000年の歴史の中で形作られたもの、先人達(キリシタン)が受け入れ守ったものを受継いで守らなければいけない。
伝統によって形づくられたカトリックらしさを失うわけにはいかない。