カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。

月曜日、神戸に出張だったのですが、業務を終えての帰り道、ふと神戸の教会に立ち寄ってみたくなりました。中山手教会も下山手教会も今はなく、どこにしようか迷ったのですが、阪神間にある駅近の大きい伝統聖堂の教会を思いだしました。

静かでした。誰もいない。

聖堂の中は、かなり薄暗く、ステンドグラスの光がまぶしい。

5感を集中してみる。

古い家具のような臭い。

静かだが、かすかに風の音がする。

今週は聖週間なので、キリストの受難や日本の殉教者に思いを馳せて少しお祈りしました。

わずか10分程ですが、静かで贅沢な時間を過ごせて、こういう聖堂を創りあげた先人達に感謝!でした。


アニメの話から一転して堅い話。

経済を見るときに、世界を見渡してトレンドを見なければならなくなったように、好むと好まざるとかかわらずグローバル化というものは、私たちに影響を及ぼしており、これは年々強まっています。

教会もそうです。

カトリック教会はもともとグローバルですが、今では身近な小教区でもアジアや南米など外国の方の姿をあたりまえのように目にするようになりました。

国境を超えた人の往来が増えている現状を踏まえて私たちも変わらなければならないのですが、そのコアにくるものは、やはりバチカンでありラテン語。
ラテン語は意味はわからなくても同じ祈りを唱えれば心が通じ合います。
意味は日本語のほうで反芻すればいい。

やはり伝統に回帰することがカトリックのグローバル化です。

バチカンも、このカトリックの伝統の部分を強化しようとしているようなのですが、この事に関して興味深い記事を目にしました。

現在ヨーロッパで進んでいる聖公会とのエキュメニカルな動き。
伝統的なアングリカンは、いき過ぎたカトリックの改革派などよりも伝統に忠実で、どうやら30人弱の聖公会主教様がカトリックに戻られる可能性があるとの事。
カトリックに戻られた際には属人区司教としての立場になられるのではないかという話なのです。
聖公会からのリターンは、トニー・ブレア元首相もそうですね。

さらに衝撃的な話は、聖ピオ十世会も、同様に属人区になる可能性があるとの記述がありました。

現在ではオプス・デイが属人区ですね。
属人区がキーワードになるのでしょうか?

海外の話ですが、これは日本のカトリック教会にも大変な影響を及ぼすような気がします。

来るべきカトリック教会の近未来の姿。
想像力をもって暖かく迎え入れる準備をしなければなりませんね。
この事を前提にして、教会の一致と平和をお祈りしたいと思います。
ただし正式なバチカンの発表を見なければなりませんが・・・

この記事なんですが、本屋で立ち読みした本に書いてあったんですが、もう一回見て、書名と出筆者をひかえておこうと思います。

さていよいよ聖なる過越の三日間とご復活祭が近づいてきました。
ブログのほうもそちらに気持ちを集中したいと思います

アメリカがハリウッドという文化資産を使ってのビジネスに成功しているのを受け、日本も対抗して漫画やアニメで「クールジャパン」を打ち出そう!としています。

日本人として応援したい事ではあるのですが、実は私は、その中身についてはかなり懐疑的です。

国民的な支持を受けている宮崎アニメも、技術的なところでは関心することはあるのですが好きではありません。

宮崎アニメ、何か不可解な世界観を押し付けられる暑苦しさのようなものを感じます。
登場人物がなんか変にクセがある。
ストーリーも変に凝り過ぎて複雑過ぎ。

かろうじて受け付けられるのは「となりのトトロ」と「風の谷のナウシカ」ぐらい。
ナウシカのころはまだクセのある登場人物は少なかったけど、それでもストーリーはかなり複雑すぎでした。

「千と千尋の神隠し」の美術は醜悪そのもの。グロテスクさが偽悪趣味で不快でした。

しかしなんといっても一番いやなところは、親子の情愛が淡白なところ。親が変にさめてて共感できない。「となりのトトロ」ですらそれを感じます。アニメは子どもへの影響力が強いので、宮崎アニメの「親子の情愛が淡白さ」はかなりひっかかります。

やはり私は宮崎駿という人の世界観には共鳴できないし、その個性が善くも悪くも出過ぎで辟易します。

そんなこんなで、自分の子どもにも見せたいいいアニメはないか探してたんですけど、以前より気になっていた「劇場版 フランダースの犬」を見てみました。

これは良かった!

大人が見ると、表現が子ども向けで、実写に比べ感情移入に時間がかかりますが、舞台であるベルギーの街や自然の描写が美しく、日本のアニメ技術のレベルの高さを感じます。ゴシックの大聖堂の感じも良かった。

要所要所でジーンとなりました。「フランダースの犬」は宗教を感じる話。ルーベンスの「キリスト降架」が効果的に使われ、聖週間を前に、いいアニメを見れて良かった。
やはり原作がいいんですね。

宮崎駿がいまひとつに感じるのは、キリスト教的ではないからなのかなあ? そこまでムキにならんでもと言われそうですが嫌いなものは嫌い。

宮崎アニメが好きな人には、かなり耳障りな事を書いてしまいました。
ごめんなさい。
偏屈なおじさんの戯言としてお聞き流しください。







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