カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログ。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
・現在の日本のカトリック教会は「伝統の断絶」「偏った政治指向」があると感じています。
・特別形式ミサ(伝統様式のラテン語ミサ/トリエント・ミサ)の実施に参加しており、不定期な開催の場合は、その告知を行います。

大友宗麟が、宣教師のもとに訪れたときに聞いたムジカ(音楽)はどんな曲だったのか?
私は音楽の教養ゼロで、全く知らないのですが、宗麟は美しい音楽に聞き惚れて無鹿の建設を思い立ったぐらいですから強く印象に残ったのだと思います。
グレゴリオ聖歌だろうか?
詳しい方、お教えいただけたら幸いです。

宗教が求めるものと、美しさというものは切ってもきれないと私は思うのですが、必ずしも共感いただける方ばかりではないようで、現代のカトリックのミサにおいても、2000年の歴史が築きあげたカトリックのイメージとは、かなりちがう聖歌を歌うことがあります。

俗にフォークミサなどと言われています。好き嫌いでいえば、私はこれが苦手で、以前エレキギターを持ち出されて来た時は、教会にいくことがとことん嫌になりました。

他宗教でも、伊勢神宮などは実に美しい。
よく「内面が磨かれれば姿も美しい」などと言われる事がありますが「外面の美しさなどどうでもいい」と言っているような感じがしてあまりいい感じがしません。

日本の布教黎明期のキリスト教は、音曲といい、ミサの所作といい、美しさが際立っていたようです。


本編に戻って大友宗麟 その2。

「この田原紹忍が総大将となって島津と戦おうてみせます」日向侵攻を前にした軍議の場で紹忍の声が響き渡った・・・・

田原紹忍(親賢)とは宗麟の正室 矢乃の方 の兄で、大友家の重臣である。
しかし矢乃の方が宗麟に離別されてからは、正室の兄という立場での影響力低下が否めなかった。
他の家臣の間では、自らの立場を補うためのスタンドプレーという見方が多くしらけた軍議となる。

田原紹忍は反キリシタンの中心的人物でもあり、キリシタン側においても極めて評判が良くなかった。

このような反キリシタンの人物を総大将に、キリシタンの理想郷「無鹿」建設の夢を託した日向侵攻を行う皮肉な人選だが、夢の話とは別に島津との覇権争いは現実の問題である。

当時の日向は南が伊東氏、北は土持氏の領地。
伊東義祐が島津に追われ大友に救援を求めたことが、この日向攻めの発端であり、島津に内通した土持氏は敵となった。

反キリシタンの家臣の影響力が強い豊後では、問題となる寺社の焼き討ちも敵の領地であるゆえに躊躇はなかった。

「仏の罰がくだりませんか・・・」
「仏に罰を与える力があるかよく見るがいい。何も起きなければそれまでのことだ」

もっとも仏教徒の家臣の動揺は大きかった。
後に島津との一大合戦である耳川の戦いでは大敗を喫する。
仏の罰が下ったのか・・・

大敗によって豊後の国運は大きく傾き、一時的にはキリシタンに対しての風当たりが強まっていく。

しかし宗麟のキリシタン信仰は揺るがなかった。
そして新たに、若く力強いキリシタンが台頭する。 
ドン・パウロ志賀親次である。


大友宗麟といえば、高山右近同様にキリシタン武将としては代表格とされる人物であろう。

しかしながら大友宗麟は、その正室が神官の娘であったため夫婦間での宗教的相克に生涯苦しんだ。正室の実家が大友家臣団の有力者で家老であるということもあって、その対立の構図が親子関係主従関係においても波及し常に心が休まる事がなかった。

長男吉統(義統)との関係も、宗教において複雑な対立競争関係のような感情のもつれがあり、前述したが吉統(義統)は深くキリシタンを信心したかと思うと家臣の圧力を受けすぐ棄教するなど立ち位置が定まらない。

さらにややこしいことに次男親家はキリシタンになるも、その真意は兄に対する対抗心であり、荒々しく激しい性格ゆえに神社仏閣を焼き払うなど次々に問題を引き起こす。

宗麟のキリシタンに対する興味も「せまい豊後だけを見てどうする。世の流れや世界に目を向けよ」という開明の心があったのだが、家臣のなかでは、親家のトラブルを見て「キリシタンは災いの種」と思うものが少なくなかった。

大友家は歴史ある九州の名門ではあったが、同紋衆などという家臣団の力が強く、独裁的な立場ではなかったため、反キリシタン派(保守派、ベテラン)対 キリシタン派(開明派、若者)という明治維新のときのような対立の構図が、常に不安定さを生む。

宗麟のキリシタンに対する信仰の置き所が、(例えば無鹿など)どこか現実世界を離れ、理想を追いかけるようなところがあるのは、現実世界での悩みから離れられなかったためであろう。

高山右近の場合は、父の高山飛騨守の指導力もあって一族郎党がキリシタンという環境にあり、家族や家臣との間での宗教的な悩みはなかった。
高山右近が現実世界のなかでその信仰を純化させていったのとは対照的である。

けっこう話が長くなってしまった。
無鹿の話まで書けなかった・・・・

もう少し引っ張って次回につづく。






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