カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログ。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
・現在の日本のカトリック教会は「伝統の断絶」や「偏った政治指向」が一部にあると感じています。
・特別形式ミサ(伝統様式のラテン語ミサ/トリエント・ミサ)の実施に参加しており、不定期な開催の場合は、その告知を行います。

本日、予定されていた下記の特別形式ミサは、中止となった模様です。

若葉修道院で急用の御用事が入ったようです。

残念ですが、本日の特別形式ミサをご予定いただいた皆様には、ご容赦いただきますようお願いします。

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UVJ(ウナ・ヴォーチェ・ジャパン)主催による、東京 四ッ谷で行われるラテン語ローマ典礼特別形式ミサ(トリエント・ミサ) のご案内です。

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【日時】2019年5月1日(水)証聖者、童貞聖マリアの浄配、勤労者聖ヨゼフ 一級 白

午後1時 開場
午後1時30分より ロザリオの祈り
午後2時頃より ローマ典礼の特別形式の香付き歌ミサ


【場所】 聖パウロ修道会若葉修道院(東京都新宿区若葉1−5)
 最寄駅:JR・地下鉄四ツ谷駅、地下鉄四谷三丁目

【司式司祭】 ラファエル植田勝行神父様
(至高なる大祭司であり王であるキリスト宣教会、現在アメリカで司牧)

【主催】  Una Voce Japan(ウナ・ヴォーチェ・ジャパン)

※聖パウロ修道会若葉修道院へのお問い合わせはご遠慮下さい。

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このミサは、池田神父様が天国に旅立たれて、最初の特別形式ミサになる。
池田神父様の為にお祈りするため場でもあるし、見守ってもらえる場のようにも思う。

そして、四ッ谷の若葉修道院でのUVJの特別形式ミサは、おそらくこれが最後になる。
このタイミングで指導司祭の植田神父様に帰国いただけたことに本当に感謝したい。

くしくも、この日は、天皇陛下即位の日でもあって、令和の時代の始まりの日に成るが、UVJにとっても新しい再出発のミサになるのだと思う。

長い間、聖堂を特別形式ミサの会場として提供してくださった聖パウロ修道会若葉修道院には、本当に感謝したい。

5月1日 東京 四ッ谷
5月5日 京都 北白川

特別形式ミサを大切に思ってくれる人々の、多くの参列をいただけたらと思う。


UVJ(ウナ・ヴォーチェ・ジャパン)主催による、京都で行われるラテン語ローマ典礼特別形式ミサ(トリエント・ミサ) のご案内です。

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【日時】2019年5月5日(日)御復活後第二主日(善き牧者の主日) 

 午後2時より 聖母の連祷(ラテン語) 
 午後2時20分頃より ラテン語ローマ典礼特別形式ミサ(トリエント・ミサ) 

【場所】 カトリック聖ヴィアトール北白川教会(京都市)
                京都市左京区北白川西蔦町22

【司式司祭】 ラファエル植田勝行神父様
至高なる大祭司であり王であるキリスト宣教会、現在アメリカで司牧)

【主催】  Una Voce Japan(ウナ・ヴォーチェ・ジャパン)

※小教区主催ではありませんので、北白川教会へのお問い合わせはご遠慮下さい。

※ミサ後に簡単な茶話会を予定しています。

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トリエント・ミサは、教皇ベネディクト16世の教令によって「特別な形式のミサ」として認められているので、現在では、もう過去形の世界に閉じ込められてはいない。

「自発教令 スンモール・ポンティフィクム」
第1項 パウロ六世が発布したローマ・ミサ典礼書はラテン典礼のカトリック教会の 「祈りの法(Lex orandi)」の通常の表現である。これに対して、聖ピオ五世が発布し、福者ヨハネ二十三世があらためて発布したローマ・ミサ典礼書は、同じ「祈りの 法」の特別な表現と考えるべきであり、このあがむべき古くからの典礼の使用に対してふさわしい敬意が払われなければならない。これらの教会の「祈りの法」 の二つの表現は、決して教会の「祈りの法」の分裂をもたらしてはならない。なぜなら、これらは唯一のローマ典礼の二つの使用だからである。
  それゆえ福者ヨハネ二十三世によって発布され、決して廃止されたことのないローマ・ミサ典礼書規範版に従って、教会の典礼の特別な形式としてミサのいけにえを行うことは許される。


このトリエント・ミサが「特別形式ミサ」として日本でも再び行われ始めているという事実を、今の日本のカトリック教会では知らない人は多いと思う。

ただし機会は多くはなく、関西では、一年に一度出来るかどうかというところだ。

与ってみたいと想う人は、この機を逃さない方が良いと思う。

コメント欄で薦めてもらった「天使の奇跡  本当にあった37の出会い」という本を Amazon で古本を購入した。

一番安い本を買ったら、ところどころに前の持ち主が鉛筆で線を引いていて、この線のせいでとても読みづらい。
関心のあるテーマなのに、古本としての状態の不味さで、買い物としては大失敗してしまった。

ただし内容は興味深い。

天使のような人柄の人に会ったという話ではない。

本当に天使としか思えない存在に実際に会ったという経験談をまとめた本なので、ちょっと臨死体験を読んでいるような感じがする。

「羽があったとか白い服を着ていたとか、いかにもそれらしい天使を実際に見た」という体験談もあるし、「最初は気づかなかったが後から想えばあの人物は天使だったとしか思えない」というような話もある。
あるいは「自分は天使の存在に気づかないのに、同じ場所にいる者が見ている」という体験談もあった。
これは自分に危害を加えようとする犯罪者に対して天使が存在を示していたというケースだった。

「天使らしい姿の天使を見た」という話は非現実的すぎてイメージがわきにくい。

「自分には見えなかった。気づかなかった。だけど・・・」という話の方が興味が湧く。

そういう話には、話の冒頭に列王記の聖句が引用されていた。


列王記下6

神の人の召し使いが朝早く起きて外に出てみると、軍馬や戦車を持った軍隊が町を包囲していた。従者は言った。「ああ、御主人よ、どうすればいいのですか。」するとエリシャは、「恐れてはならない。わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い」と言って、主に祈り、「主よ、彼の目を開いて見えるようにしてください」と願った。主が従者の目を開かれたので、彼は火の馬と戦車がエリシャを囲んで山に満ちているのを見た。アラム軍が攻め下って来たので、エリシャが主に祈って、「この異邦の民を打って目をくらましてください」と言うと、主はエリシャの言葉どおり彼らを打って目をくらまされた。 エリシャは彼らに、「これはあなたたちの行く道ではない。これはあなたたちの求める町ではない。わたしについて来なさい。あなたたちの捜している人のところへわたしが連れて行ってあげよう」と言って、彼らをサマリアに連れて行った。彼らがサマリアに着くと、エリシャは、「主よ、彼らの目を開いて見えるようにしてください」と言った。主が彼らの目を開かれ、彼らは見えるようになったが、見たのは自分たちがサマリアの真ん中にいるということであった。

聖書では「見える」「見えない」「気づく」「気づかない」という話が要所要所にある。
こういう箇所に遭遇すると、ちょっとドキッとする。

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