カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。

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・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。

コロナの終息はいっこうに見えない。
それどころか感染の第二波になっている感じがする。

感染の再拡大は、政府のちぐはぐな対応による舵取りのマズさにも理由がありそうな気もして
国の危機管理能力には、不安感と不信感が個人的には高まってきている。

感染再拡大による社会的な影響は避けられず、教会の方でもせっかく限定的に再開した小教区のミサも、おそらくまた中止になるのだろう。


家で祈るということに焦点をあてて、細々とブログをつないでいるが
前回、「聖人たちの祈り」という本を引用して、「率直に祈る」 ということをテーマにした。

ただカトリック教会というのは、どちらかといえば、ロザリオなどに代表されるように「型どおりに祈る」ことを良しとしている感じはする。

今のミサの中では共同祈願のところが「自分の言葉で祈る」部分になるけれども、トリエント・ミサにはそういう箇所が無い。

「型どおりに祈る」ミサで、現代まで(第二バチカン公会議まで?)2000年近く、教会が続いてきたということは、ちょっと興味深い感じはする。

正直なところ「型どおりに祈る」というのは、なかなか難しい。
気持ちが逸れてしまうことが少なくないからだ。

御受難修道会の来住神父の「詩編で祈る」という本があって「詩編の言葉に乗せて、自分の思いを神に注ぎ出す」ということが書かれていたのが印象に残っている。

祈りというものが「自問自答」の世界から「神に語りかけ、神に聴く」ものにしたいと思うならば、この「(既存の祈りの)言葉に乗せて、自分の思いを神に注ぎ出す」というのが大事というような内容だった。

「型どおり」というのも奥が深い。

今日はミサに行けない日だったので、以前に買った「聖人たちの祈り」という本を久しぶりにパラパラとめくってみた。

前もちらっと書いたことがあったが
http://catholicus.blog.jp/archives/cat_154774.html?p=2

聖トマス・アクィナスの祈りのページに驚いた記憶がある。

本当に率直な心情吐露的な内容で、「神学大全」を書いた学識深い教会博士のイメージとは、内容的にかなりギャップがある。

私の神よ、私があなたを忘れてもあなたは私を忘れないでください。
私があなたを見捨てても、あなたは私を見捨てないでください。
私があなたから離れても、あなたは私から離れないでください。
私が逃げ出しても呼び戻し、反抗しても引き寄せ、倒れても起きあがらせてください。

 
私の神、主よ、お願いいたします。
いかなるむなしい考えによっても、あなたから遠ざかることのない目覚めた心を、
いかなるよこしまな意向によっても、ゆがめられることのないまっすぐな心を、
いかなる逆境にもめげず、勇敢に立ち向かう強い心を、
いかなる卑しい情欲によっても、打ち負かされることのない自由な心を、
主よ、私にお授けください。

主よ、お願いいたします。
あなたを求める意思を
あなたを見出す希望を
あなたの望まれる生き方を
信仰をもってあなたを待ち望む堅忍を
そして、ついにあなたを所有できるという信頼心を
主よ、私にお与えください。


前段の私があなたを忘れてもあなたは私を忘れないでください。」のあたりは、
子供が親に駄々をこねるような率直さで、神様と向き合っている感じがする。

「こころをこめて祈る」と言う場合の「こころをこめて」というのは、この向き合い方のことであるようにも教えてくれているようにも感じる。

この本は、出典について書かれていないのが少し残念だが、時に手に取ってみたくなるときがある。
 

前回の酒井司教の説教を続けて引用したい。

(以下青字部引用)

しかし神様のみ旨に対する確信と信頼があれば、疑いはなくなる。これが神様のみ旨だと。
十二人の使徒の 一人である聖ヨハネは、その手紙の中で断言しています。

「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。(1ヨハネ5・14)」 

私たちはまだなかなかそういう確信がないですね。
やっぱり神様のみ旨とちょっとずれているかな、と思いながらも、やっぱり自分の望みを私たちは願ってしまいます。

では、このような確信、イエス様に対する疑いのない信仰を養っていくにはどうしたらよいのでしょうか。

そういう信仰を強めるために欠かせないことは、信仰に基づいた、信仰のこもった行いを繰り返す以外ないわけです。

ちょうどちっちゃな子どもにお祈りを教えるように、繰り返し繰り返し、最初はそんなに心がこもっていなくても、心を込めるようにお祈りを繰り返すことによって、私たちの信仰は強まっていきます。

だから、よく祈る人は、信仰が強くなるんです。
今日はまとめとして、このイエス様への祈りを強めることをお勧めしたいと思います。

ミサに与りにくくなってしまっているからこそ「家で祈る」ということを大事にしないといけないと思った。
 

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